リノアは目を閉じただけでほんの一瞬だと思っていたが、目を開いた時は既に3時間半経っていた。

相当疲れていたとはいえ、子供の昼寝より長いのは情けない。
彼がキッチンに立つ貴重な瞬間を見逃した自分が悔しいし、長時間放っておいた罪悪感も襲ってくる。
おまけに、美味しそうな匂いで起きたなんてスコールには絶対言えないし言わない!
 
頭の中で大騒ぎしていたリノアは、毛布の中でモゾモゾしながら頭のそばにあったブラウンのクッションを抱え込んだ。自分の部屋から持ち込んだものだ。買った当初は起毛素材の柔らかい感触に癒されると思っていたが、時間の経過で少しごわついてきている。
(やっぱり、スコールの言うとおり安物は買わなきゃよかった)
目が覚めてから後悔してばかりだ。
 
むくりと起き上がると、一緒に横になっていたアンジェロもそれに反応してあくびをしながら伸びをする。
リノアの手がアンジェロを撫でると、彼女の相棒は彼女の腕に鼻先を擦り付けて小さくクゥンと鳴いた。
 
ふと見渡すと、スコールがいない。
キッチンの明かりが付けっ放しだ。
ベッドから出てキッチンを覗くと、料理が出来た時のほっこりとした湿度を感じた。
シンクの調理器具は洗剤が付いたままで放置されている。さっきまでここに居たのは間違いなさそうだ。
鍋の中身を確認したかったが止めておいた。美味しいものは取っておく主義だ。
 
先月二十歳になり、卒隊した先輩SeeDから引き取った2人掛けのテーブルの上にクシャクシャに置かれた布を見つけた。
(なんだろう…テーブルクロス?)
その脇に見慣れた文字のメモが置いてある。
 
『すぐに戻る。具合が良ければテーブルのセットを頼む』
 
「了解です、司令官殿」
微笑みながら布を取った。
そこで彼女は、それがクロスではなくギャルソンエプロンだと気付いて、盛大な溜息をついた。
「これ着たスコール、絶対格好良すぎでしょ…」
 
出会った頃よりも、また少し背の伸びた彼のギャルソン姿--想像するだけでドキリとする。
 
本物を見られなかった自分があまりにも残念で、リノアは目を覚ましてから何度目かの後悔をした。
 
 
*  *  *
 
 
 
「なんでこんなに美味しいの…」
絶望的にも思えるような声で正面のリノアが呟いた。
「…そうか?」
「スコール、シェフになれるんじゃない?本当に美味しいよ」
「レシピ通り作っただけだぞ」
スコールはサラリと答えたが、本心では彼女が(多分)褒めてくれたのは素直に嬉しかった。
スープとリゾットというごく簡単なものだったが、確かに我ながらまあまあの出来だと思う。
 
アンジェロも調味料を入れる前のものを取り分けてもらい、既に完食している。満足そうに部屋の隅で横になっていた。
 
 
口に運んだミネラルウォーターのグラス越しに彼女をチラリと見たら、彼女は絶望をさらに深めたような顔をしていた。
「強くって、頭も良くって、おまけに料理まで…。神様はずるい」
嫉妬と羨望で己の不器用さを呪いそうな勢いだ。
 
「誰だって最初から出来たりしないさ。練習すればリノアも出来るようになる」
「えー…こんなに美味しく作れないよ」
八つ当たりしてるのか、下を向いて元々細かく切ってあるリゾットの野菜をスプーンの背で潰している。
そんな彼女の行動に苦笑するしかない。
 
「明日、練習しよう。リノアの料理が食べてみたい」
スコールの提案に彼女のスプーンがニンジンを潰し損ねた。オレンジの正方形からずれたスプーンがカチャンと音を立てて皿の縁を鳴らした。
その音に驚いたようにリノアはスコールの顔を覗き込んできた。
 
「本気?私、自分でもうんざりするほど不器用なんだよ?知ってるでしょ。絶対スコール呆れるよ」
「一緒にやれば大丈夫だろ。それに、リノアの大抵の事はもう慣れた」
「なんか今の言い方、感じ悪い!スコールって結構いじめっ子タイプ?」
「心外だな。これはリノア専用だ」
 
お互い目が笑いながらの応酬。
スコールは我慢出来ずにクスクスと笑い声が漏れた。
自分でも自然に笑みが出てくるようになったと思う。
(こうして、こんな気持ちにさせてくれるリノアの方こそ凄いのにな)
 
スコールは上機嫌のまま、少し冷めたスープを口に運んだ。
と、一緒に笑っていたリノアがじっと見つめているのに気付いた。さっきとは打って変わり何故か神妙な顔だ。
 
「…あのね、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「明日の朝、外に行きたい。ううん、ガーデンの庭でいい。雪が見たいの」
 
「分かった」
あっさりとOKが出たのに驚いたのか、リノアが前のめりになって目を丸くした。
なんだか、やっぱりリノアは面白い。
 
「いいの?」
「ああ」
よかったー!と椅子に凭れてホッとした彼女がグラスの水を飲み干した。
 
 
「真剣な顔してたから、もっと変なお願いされるかと思った」
「例えば?」
「バーテンのコスプレしてくれとか」
 
部屋に戻った時、彼女にギャルソンエプロンの事を根掘り葉掘り聞かれたのだ。
任務で使ったと告白すると、彼女の思考回路の結論では『私だけ見てないなんてあんまりだ』だったらしく、しばらく落ち込んでいた。
 
「あ〜っ!そっちもお願いすれば良かった!」
「リノアが完璧に料理をマスターしたらな」
「言ったわね!絶対だからね!スコール『より』美味しいの作ってやるんだから!」
自分でハードルを上げたことも気づかないリノアは、気合い十分といった雰囲気だ。
 
スコールは破顔した。
 
「その前に、ちゃんと早起きしてくれよ」