翌朝は昨日と打って変わって穏やかな日を迎えていた。太陽もいつもの輝きで登り始めている。雲も晴れて所々に薄い筋を作っているだけだ。

渡り廊下から見た感じでは…15〜20センチといったところか。この辺りでは今までで一番降ったんじゃないだろうか。
吐き出された息は白くなったかと思うと、すぐにするりと空気に馴染んでいく。
朝の6時、スコールは早足でリノアがいる女子寮へ向かっていた。
スコールの手には、当直のシュウから借りた雪中戦用のロングブーツとコート、ガンブレードがある。
彼もいつもの私服とは違い、白いコートとブーツを履いている。
 
彼女の部屋をノックするとすぐに鍵が開いた。
スコールは少し驚いた。リノアが予想に反してもう起きていたからだ。ドアを開けた彼女の手は体温計を持っている。
 
(そうか。計測してたのか)
リノアは魔法研究所の指示により、就寝時と起床時に必ず検温と血圧の測定をしている。書き付けた計測表も必ず誰かがサインしなければならない。
 
(データを敢えて紙で取らせているところが疑り深いオダインらしい…)
そんな小さな事まで管理されていると思うと、少し切なくなる。
 
部屋着の彼女はスコールに向かって「おハロー」と小さく言うと、欠伸を噛み殺しながらスコールを部屋に招き入れた。
「いつになく早起きだな」
スコールは、さっきの気分を無理やり上げるためにからかったつもりだったが、リノアは素直にその言葉を受け取ったようだった。
「うん、目覚まし3つかけたから!」
リノアが遠足前の子供のようで、スコールは思わず吹き出した。
「そんなにかけてたなら『彼女』はさぞ迷惑だったろうな」
「そうだね。アンジェロ、ごめんね」
リノアの愛犬は名前を呼ばれただけで嬉しそうに彼女の手を舐めた。
(『彼女』も澄んだ目をしてる)
スコールはアンジェロとリノアの瞳が同じように感じた。
 
「あれ、その格好。それになんでガンブレード持ってるの?」
予想外の出で立ちにリノアは不思議そうに指でさす。スコールは意識を彼女にシフトした。
「ああ、外に行こうと思ってな」
「え……いいの?」
「だからシュウからこれを借りてきた」
そう言って彼女にコートとブーツを差し出す。
「ガーデン生の雪用服だから近くで見ない限りはリノアだとは思わないだろ。ついでに言うとシュウは買収済みだ、心配ない」
『外』とはガーデンの敷地を出ると言う事だ。
シド学園長は、ほんの少しの外出は大目に見てくれているが、本来は禁止されている。
「買収って…なにしたの?そこまでしてもらわなくても良かったのに」
嬉しさと申し訳なさ半々の顔でリノアはやんわりとスコールを非難した。
「たまにはいいんだ。これぐらい許してもらえないなら司令官になった意味が無い」
「スコールって…案外したたかなんだね」
「褒め言葉として受け取っておくよ。さっき予定表を見てきた。今日は日曜だし、この雪の影響で殆どの任務が延期になってる。除雪組は8時には動き出すから出られるのは1時間も無い」
「それでも十分だよ。ごめんね、スコール」
 
(リノアが悪いんじゃない)
 
本当は自由に外に出たいはずなのに。
スコールは謝罪の言葉を口にした彼女を思わず抱きしめた。そっと抱き返してくれる彼女に胸が苦しくなる。
 
「体調は?」
「おいしかったごはんのおかげで元気いっぱいだよ」
「よかった。…支度手伝う」
「うん」
 
リノアの支度を終えると、二人は静かに部屋を後にした。
 
 
 
こっそりとガーデンを抜け出した二人の眼前には一面の雪景色が広がっていた。白い花を咲かせた木々が少し気だるげに枝をしならせている。
静まり返った真っ白な雪の平原——。
長くガーデンで暮らしているスコールも初めて見る景色だ。
二人は黙ったまま歩みを進める。慣れない雪道で聞こえてくるのはお互いの呼吸と雪を踏みしめる音だけ。
スコールはリノアと別世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。
 
「きれい…」
海と町並みを見下ろせる小高い丘までたどり着くと、リノアが感嘆の声で呟いた。
「そうだな」
本当にそう思う。そして気付かされる。今まで景色を見る余裕なんて無かった事も。雪景色でこんなに感動している自分がいる。
ひんやりとした空気で肺を満たす。寒いはずなのに心は暖かだ。
 
「アンジェロを連れてこなくて良かったのか?」
スコールは去り際に見たアンジェロの不満そうな顔を思い浮かべてリノアに聞いてみた。
「うん。あの子毛足が長いでしょ?雪に入ると毛玉みたいにいっぱいくっ付くから大変なの。でも、やっぱり連れてきてあげれば良かったかなぁ?」
「この前、ゼルが遊んで貰ってた時はそんに付いて無かった気がしたが…雪質によるのかもな」
スコールは屈んで雪をひと掬いするとグッと握りしめて放り投げた。
「ええ?ゼルが遊んでくれてたんじゃなくて?」
「あれはどう見てもアンジェロがゼルに合わせてたな」
「あははっ!想像がつくだけに…笑っちゃいけないけど、でも…くくくっ」
相当ツボだったのか、笑いの収まらないリノアを見ていたスコールの頬も緩んでしまう。
「そういえば…孤児院の頃、雪の時は男連中で雪合戦ばかりしていたな。サイファーが雪玉の中に石を仕込んでいて、当たるとありえない位痛いんだ。ゼルがよく餌食になって泣いてたな」
「サイファーって…昔っからえげつない性格だったんだね…」
「同感だ」
 
肩をすくめて言った瞬間、グラリと視界が揺れた。持っていたガンブレードをうっかり離してしまう。
一瞬自分の身に起こった事が理解出来なかったが、ボスリと背中に柔らかな感触を感じて突き飛ばされたんだと理解する。
「なにすっ…」
言い終わる前に、リノアも隣に倒れ込んできた。勢いがよかったせいで、スコールの顔に雪が飛んできた。反射的に顔をしかめる。
「リノア!」
「あははは!スコール雪まみれ!」
「あははじゃない!」
お返しとばかりに雪をかけ返すと、リノアは身を捩って避けようとする。
「きゃ〜!スコールのえっちぃ!」
「どうしてそうなるんだ!」
「あ、なんでだろ?」
 
一瞬の沈黙の後、二人同時に吹き出した。吹き出すタイミングまで同じでそれがさらに無性に可笑しくなる。
気付けば大笑いしていた。
こんなくだらない事で笑い合える自分も彼女も、相当『オカシイ』はずだ。
 
 
 
笑いが収まる頃には、二人は仰向けのまま自然に寄り添っていた。
スコールはリノアの肩に手を回して目を閉じた。少しためらったが、彼女の髪に鼻先を埋める。濡れた髪から彼女の香りが一層感じられた。
包み込む雪は、どこまでも優しい。
 
どの位そうしていたのか…リノアがキュッとしがみついてきた。
 
「このまま、雪と一緒に溶けちゃえばいいのにね」
彼女の指が震えている。けれど、敢えて気付かない振りをした。
気付いてはいけない気がしたのだ。
「…そうだな」
「溶けたら、どうなるのかなぁ」
「海に流れて…いろんなところにいけるかもな」
「そうだね。きっとそうだね」
潤んだ瞳で笑うリノアがいじらしくて、スコールの心が震えた。
空いていた手を回して彼女を抱きしめる。
 
こんな時、スコールは自分が子供だと思い知らされる。
半年経ってもまだまだ問題は山積していて、顔には出さなくても先が見えない不安を抱えながら生きていく日々。
大人に交じって仕事をしていても、懸命に大人の振りをしていても、彼女に自由すら与えてやれない子供の自分。
 
(けど、進むしか無いんだ)
リノアだってそれは分かっている。ただ、少しだけ不安になっただけ。
今はこうして抱き寄せて不安を和らげてやる事しか出来無いけれど。
いつか、きっと。
 
(絶対に、リノアを幸せにする)
 
スコールは目を開いた。燃える瞳は、太陽の色に溢れていた。
 
 
「ごめんね、変な事言って」
「いや、気にするな。きっと雪のせいだ」
「ふふっ。そうかもね。あ!私、どうしてもやりたいことあったの!」
リノアは無理矢理明るく振る舞って、不安をかき消すように立ち上がった。
スコールも立ち上がろうとすると、両手で静止された。
「リノア?」
「スコールはこのままでいて」
「?」
「いいからいいから。あ、目を閉じててね」
「…分かった」
 
素直に従って目を閉じると、リノアが離れる気配がした。
ザクザクと雪を踏みしめる音が聞こえてくる。音が右から左へと移動している。
(何やってるんだ?)
全く検討がつかないスコールの元にリノアが帰ってきた時は、彼女の息は上がっていた。
「お、おまたせ〜」
「一体何やったんだ?」
「へへへ。内緒!さ、帰ろ!時間もう無いよね」
「あ、ああ…」
 
スコールは無理矢理引っ張り起こされた。
ズンズン進んでいくリノアを釈然としないまま追いかける。
追いついたついでにリノアの手を取ると彼女は嬉しそうにはにかんだ。
そのまま彼女の唇にキスをすると、「スコール大好き」と抱きついてきた。
「知ってる」
「すごい自信!」
 
二人は笑いながらもう一度唇を重ねた。