【0712ーsonido lluviaー】


遠くから聞こえるジェットエンジンの音で目を覚ました。床に落ちたシャツとジーンズを身につけベッドから起きてサンダルを突っかけると、隣でまだ眠っている彼女にタオルケットをかけた。

「外、行ってくる。寝てていいぞ」
「ん」
耳元で眠り姫に囁くと、果たして返事なのか眠りを覚まそうとするものへの抵抗なのか——どちらとも取れる返事をして、彼女はまた静かに眠りに落ちた。

入り口近くにかけてあったフェイスタオルを尻ポケットに突っ込んで木戸を開けると、曇天模様の空が視界に入った。それに輪をかけて日の出よりも少し前だからか、辺りは暗くいつもよりもじっとりとしている。朝靄が辺りを包んで視界が全体的にアッシュグリーンだ。このままいけば、雨も降りそうだ。
まだ頭がはっきりしなくて、うっかり階段の最後を踏み外しそうになり、訪れた緊張感で背中に電気信号がピリッと走った。

冷たい井戸水で顔を洗って持ってきたタオルで顔を拭うと、やっと目が冴えてきた。
近くの朽ちた石柱に腰掛けてしばらくそこで何もせずにぼうっと霞んだ景色を眺めていると、見慣れた人影を視界の端に捉えた。

「あ、やっぱり起きてたね。おはよう」
「あぁ、おはよう。無線で受けた時間より随分早いな」
アーヴァインは手をひらひらさせながら自分の獲物と迷彩柄の大きなリュックを背負ってやって来ると、よっこいしょと一声発して荷物を下ろした。

「わざわざすまない」
「い〜え。わ!随分綺麗になってるね!あ〜…でも子供部屋の辺りはなくなってるかぁ」
ここに来るのがアルティミシアの時以来の彼が、感嘆の声を上げた。
 
「あそこはボロボロに崩れてたからな。セルフィはどうした?」
「後から来るよ〜。まだ荷物もあるしね。そろそろ二週間か。こっちの生活には慣れたかい?なんか、毒気が抜けてるね」
帽子を被り直しながらアーヴァインは得意の顔でニヤッと笑った。
道中、セルフィと二人きりなれたのが相当嬉しかったのか、いつもよりもテンションが高めだ。

「ああ、なんとかな。悪い、リノアはまだ…」
「あ、そっか。こんな時間だから寝てるよね。元気なのか会いたかったけど、また今度かな。実はこの後、急な任務でガルバディアに行くんだ。本当に急だったからこの時間になるって連絡入れなくてゴメン」
「構わない。…ママ先生の具合は?そっちの仕事はどうだ?迷惑かけてるよな」
「いや、迷惑なんて思ってないし。先生はだいぶ良くなってきたよ。熱が上がったり下がったりしているみたいだけど。仕事はボチボチってとこかな?キスティスが言うには要人警護や交渉事なんかに同行するのが増えたって言ってたな。争いごとに駆り出されるのが少なくなったのはリノアのおかげかもって言ってたよ〜」
人懐こい顔をして笑いかけてきたアーヴァインの言葉に目を見張った。確かに以前、任務記録を読み返していた時にも感じたが、リスクの高い仕事は減っていた。
それが何故リノアと繋がるんだろう。

「彼女が魔女になって、何度かテレビで話しているところが映るじゃない?リノアはその度に『みんなが争わないように』って言うのがね、じわじわ効いてるんじゃないか、ってさ」
「そんなことが?」
「魔女の言葉って魔力が宿るのか、良くも悪くも魅了されちゃうらしいよ、ママ先生の時みたいにさ。リノアの言葉にそれがあるかは分からないけどね」
「それが本当ならすごいな」
「元々彼女は素直だからじゃない?余計言葉が心に入るのかもね〜」
「それ、今度本人に言ってやってくれ。喜ぶと思う。ありがとう、いいことを聞いた」
こっちまで嬉しくなってきて頬が勝手に緩んだ。それを見ていた彼も一緒に嬉しそうに白い歯を出して笑ってくれた。
タイミングがうまく噛み合っただけで、偶然ってこともあるだろう。ただの気休めの言葉とも取れる。それでも、リノアが前向きになれるものなら、今はなんでも欲しかった。

「アー・ビン!荷・物・持っ・て!こっち・お・も・い・ん・だ・け・ど!」
男二人、声の主の方向を向くと、リュックに乗られたようなセルフィが歩いてきた。
まずい、ジ・エンド級に目が据わっている。

「えっ、マジで?!ごめんごめん!」
慌てて駆け出すアーヴァインはセルフィを迎えに行くと、蹴りで迎撃されて脛を抱えてうずくまってしまった。

「おい、朝から喧嘩するなよ」
「あ!はんちょ!おはよー!」
アーヴァインにリュックを渡したセルフィが手を振って駆けてきた。手の振り方が今いたあいつとそっくりで、笑いを噛み殺した。

「セルフィも、いつもすまない」
「ええって。朝早く堪忍な。リノアは寝てるの?」
リノアのくだりから小声で聞いてきた彼女に無言で頷くと、また小声で喋りだした。

「リノア、具合どう?」
「大丈夫だ。まだ時間はかかりそうだが」
「そっか。はんちょも心配やね」
「リノアに振り回されるのは慣れたさ」
「確かに」
セルフィは笑ながら腕組みして何度も頷くと、思い出したかのように顔を上げた。

「はんちょ、ごめん。私らもう、帰らなあかんねん」
「さっきアーヴァインから聞いた。忙しいのにありがとう」
「うん。リノアにお大事にって伝えておいてね。あ!あんまり疲れさせちゃダメだよ。周りに誰もいないから開放的になっちゃうのは分かるけど」
(おい、なに誤解してるんだよ…。そもそも『病人』に手を出すなんて最低だろ)
あいつに感化されて下ネタ増えてないか?なんでこう…毎回俺の事からかうんだ。
額に当てた手越しに彼女を見ると満足そうな顔をしていて、さらに頭が痛くなった。

戻ってきたアーヴァインから荷物を受け取ると、二人は簡単な別れの挨拶と共にラグナロクへと戻っていった。
少しの間、背中を見送ってから荷物を持ち上げて家へ向かおうとした時、靄でハッキリとしていなかったが、手を繋いでいるように見えた。

(なんだ。あいつらうまくいってたのか…気付かなかったな)
リノアなら、何か知ってるかもしれないな。
荷物を抱えて部屋に入ると、眠り姫はまだ、眠り姫のままだった。



***



「私、こういうの苦手なの知ってるでしょ?」
「得意になるように、やってるんじゃなかったのか?」
「そういうの、意地悪っていうんだよ。知ってた?」
「いいや、初耳だ」
予想通り昼前から雨が降り出した。朝昼一緒の食事の後、リノアは決まって本を読み始めるのだが、今日は何を思ったのか、壁際のベッドの上に腰掛けていた俺の足の間に収まって例のナンプレを解いている。
当たり前のようにこっちに体を寄りかからせて、唸りながら数字を当てはめていくが、なかなかうまくいかない。
毎回俺に答えを聞いてくるので自分で考えろと言うと、さっきの台詞で反論されたのだ。

「だって!スコールが全然相手してくれないんだもん!」
なるほど、それが本音か。構って欲しくてこんなにくっついてるのか——自分の鈍さに内心自嘲した。
構う相手はお互いしかいないのに(特に今は二人しかここにいないのに)、彼女は時々こうして素直に不満を表明する。ガーデンにいる時もそうだ。こっちは相手しているはずなのに、向こうの要望は別のところにある場合が多々ある。
ここで選択を間違うと、拗ねてしまうから要注意だ。

「そういえば…あの二人って付き合ってるのか?」
「誰のこと?」
「アーヴァインとセルフィ」
今朝見た光景をリノアに話すと、どうだろう?と眉を寄せて首を傾げた。その仕草でセルフィからは何も聞いていないのだと悟った。
と、同時にリノアの不満を回避したことに成功したようだ。

「ようやくあいつが報われたのかと思ったんだけどな」
「あはは。片想い長すぎだよね。最初聞いた時はびっくりしたなぁ。初恋の子がいきなり現れて…って展開は女の子がよくあるパターンだけど、まさかアーヴァインがそうだとは思わなかったもん」
ふっと目を細めながら、リノアは肩口に頭を預けて見上げてきた。頬が幾分赤みを増している。

「セルフィは多分…好きなんだと思うけど、秘密主義だからあんまり相談してくれないしなぁ。二人のこと、気になる?」
「いい加減、こっちだけネタにされるのも嫌じゃないか?」
「あはっ、確かに〜!三つ編みちゃんのとこも、ゼルがああだからなぁ…。でもこの前デートしたみたいだけど!」
「ゼルが?意外とやるんだな」
「それがね、毎回毎回、格闘王を読みながらお茶するか、ただ海見てボーッとして終わるんだって!彼女はそれで良かったみたいだけど」
「容易に想像出来るな」
リノアと目が合うと、同時に笑ってしまった。
ゼルが気を利かせたデートが出来るとは到底思えなかったからだ。いや、俺もリノアの『教育』によって少しは気を遣うようになったが、彼女が何も言わなければ、鉄拳制裁の一つや二つ、あったかもしれない。
 
プランに問題はあったが、普段から外出に制約があるこっちとしてみれば、それすらもとても羨ましくも思えた。

「私の勘なんだけどね、ゼルは突然結婚を申し込むタイプだと思うの!お付き合いが短くても、この人って決めたらプロポーズしそうな気がするな」
「そうかもな…」
彼女の何気ない一言に、僅かに薬指の先がピクリと動いた。気付かれてはいないはずだが、鼓動がかまびすしい。

リノア自身は特に何も考えずにその言葉を使っているんだろうが、聞かされる側はふとした時に考えてしまう。
未来は分からない…でも、少しだけ思い描いても良いのかなとも思える時がある。
世間からは少し早いと思われるけれど、所帯が持てる年齢になったのだから。
揃いの物質を手にして揃いの言葉で見えない未来へ進む特別な瞬間…リノアはどんな顔で、どんな言葉でその道を進むのだろう。その隣は、誰が————?

特定の誰かを恋しいと思ったのはリノアが最初で、恐らくこの先、これ以上心を動かす人に会うことはないと思う。
だからいつも、彼女の隣の席は自分であるようにと願わずにはいられない。
自分という存在自体を救ってくれた命の恩人だとか騎士だとか、極論恋人であるとかそんな事どうでも良くて。

ただただ、側にいたい。
そう思うと、抱きしめてしまいたくなって腕を上げたら、バッと振り向いたリノアに先を越されてしまった。
反射的に体が後ずさったせいで、壁の窓枠に後頭部をしたたかに打った。
が、彼女は全く気付いていない。

「………ッ!り、リノア?」
「ん、あったかい。じっとしてたら寒くなっちゃった」
夏場でも雨が振ると涼しいこの場所のせいか、確かに背中に回された彼女の腕はシャツ越しでもひんやりとしている。
寒くなったからくっついただけなんだろうが、(痛かったが)こっちの気持ちを汲んでくれたような行動に嬉しくなって強く抱き返すと、急に焦りだした彼女がもモゾモゾと動き出した。

「あ、あのね、私そういうつもりで…」
あの事へ続くと勘違いしている彼女が面白い。苛める気は無かったが、ちょっとだけ困らせたくなった。
腕の力を緩めず、目線を合わせてから澄まして「俺もそんな気はない」と言うと、一瞬だけリノアは落ち込んだ顔をした。すぐ腕がきついだのなんだの言って必死に隠したけれど。

一体、どっちなんだよ。
リノアの『オンナゴコロ』は掴みどころが無くてイライラすることもあるけれど、可愛いと思うし飽きない。

「スコー…フッ?!」
「ふ?!っっっ…あはははは!」
そんな気が無いなんて、つれないことを言った罰として鼻を摘むと、俺の名前を呼ぼうとしてた彼女の声が裏返った。
その音がクリーンヒットとばかりに笑いのツボにハマってしまって、しばらく抜け出すのに苦労した。
口を尖らせてが何か言いたそうにしていた彼女は、膝を抱え顎をそこに乗せて、お気に入りの雑貨を眺めた時のようにこっちを見た。

「ね、スコール」
「な、なんだ?」
「そうやってね、スコールが笑ってくれるのがとっても嬉しいの。少しでもスコールが楽しいと思ってくれてるなら、私がここにいてもいいんだって思えるんだ。…この先どうなるか分からない。自分の意思と真逆の魔女になるかもしれない。『わたし』じゃなくなるかもしれない。でもね、スコールに少しでも楽しいとか嬉しいとか…心があったかくなるものをあげられてるなら、それだけで、生きてて良かったって思えるの」
「——————!」
「こうして二人っきりなのって、きっと神様がくれたプレゼントだよ。だからスコールの話も笑い声も、たくさん聞きたいな。スコールのこと、抱えきれないくらい憶えていたい。どんな小さな事でもいいの。私もたくさんお話するから。憶えていて欲しいから。どんなに悪い結末になっても、忘れないように」
そこで一度言葉を切った少女は、潤んだ目をごまかす為にくすぐったそうに笑うと、こみ上げそうになったものを鼻をすすって逃した。

「怒られるかもしれないと思ってずっと言えなかったけど…ごめんね、迷惑ばかりかけて。それと、ありがとう。いつもそばにいてくれて」
ごまかし切れずに最後は完全に涙声だった。
小さく丸まった彼女を壊さないようにそっと抱くと、アンジェロの甘えた声のように小さく高い音の嗚咽を漏らした。

「俺も謝る。普段は仕事ばかりでいつも淋しい思いをさせてすまない。あと…こちらこそありがとう、見限らないでいてくれて。自分で言うのもなんだけど、こんなに無愛想で面倒臭い奴のそばにいてくれて感謝してる」
「しゅこーる…」
顔を上げた彼女は、しゃくり上げながら俺の名前を呼んだ。涙と洟で顔が濡れてる。
好きな相手に鼻水が出ている顔を見せるなんてみっともないことだろうけれど、全く気にならなかった。
むしろ、何度もすする彼女がとても愛らしかった。

「こんな俺のこと、少しでも好きになってくれてありがとう。リノアのこと、好きになってよかった」
「悪い魔女になっても?」
「前に言ったろ、魔女でもいいって。リノアが悪い魔女なら、俺は『悪い魔女の騎士』になればいいだけだ」
「なんか…グスッ…すごいヘリクツ…」
「そうか?」
「でも嬉しい。…ねぇ、本当に悪い魔女になったらどうしよう」
「リノアはどうしたい?」
「世界…征服、しちゃう?」
「いいな。そうしよう」
忍び笑いあって、再び互いを抱きしめた。
それぞれの温度を分け合うと、雨の音なんて気にならないくらい心が凪いだ。
胸元の彼女の吐息が俺のシャツを通過すると、余計に熱く感じられて、改めて彼女の存在を意識した。

「私ね、魔女になってから神様にずっとお願いしてる事があるんだ」
「どんな願い?」
「教えな〜い!あ、でも、スコールのお誕生日に教えてあげる。今年は誕生日プレゼント用意出来ないかもしれないから。……もうちょっとだね、誕生日」
「まだ一ヶ月以上あるけどな。それまで楽しみにしておく」
「うん。待ってて」
お祝いなんてしなくていい。そばにずっといてくれれば——そう口に出そうとしたけれど、さっきから気恥ずかしい事ばかり言っているのを思い出して照れくさくなってしまって、彼女の髪に鼻先を埋めるのが精一杯だった。