【0630ーflorー】
セントラ行きが決まった翌日、リノアの最終メディカルチェックを経てからバラムガーデンへ戻る事になった。必要最低限の荷作りの為だ。
エスタ出国に少々手間取ったせいもあって(オダインが最後の抵抗なのかメディカルチェックを長引かせた)、バラムに着いたのは30日の正午過ぎだった。
明日、7月からはリノアの状態が落ち着くまでセントラに身を寄せることになる。
ガーデンに帰還すると、すぐに学園長に呼び出された。
学園長室に差し込む太陽の光は、夏を思わせるギラギラとしたものだったが、エスタと真逆の力強さを感じて安堵の気持ちが生まれた。
「スコール=レオンハート、ただいま戻りました」
敬礼と共に帰還の言葉を述べると、学園長は二度頷いて微笑んだ。
「スコール、ご苦労様でした。リノアさんもイデアもお疲れ様でした。とんぼ返りのようになってしまいますが、今日はゆっくり休んでください」
「シドさん…。ただでさえご迷惑をお掛けしているのにまた…すみません」
深々と頭を下げたリノアを見て、彼は軽く仰け反りながら慌てて手を振った。
「いやいや、気にしないでください。大丈夫、きっとすぐに落ち着くと思いますよ。早くこちらに戻れることを願っています。不便な暮らしになりますが、スコールとなら大丈夫でしょう」
「はい…」
「先程、キスティスとゼルが任務の報告に来ましたので、簡単に説明をしておきました。病気療養の為、しばらく静養すると伝えてあります。勿論、セルフィとアーヴァイン以外への他言は禁じておきました」
「ありがとうございます」
俺もリノアと同じように頭を下げた。学園長の顔に疲労の色が色濃かったからだ。
恐らく今日まで調整に難儀したり断った任務もあるだろう。
俺一人抜けたぐらいで揺らぐ組織で無いことは承知しているが、SeeDの数が多い訳ではない。一人ひとりにかかる負担が増すことは変わりないはずだ。
帰ってきたら…仕事は倍やらないと埋め合わせにならないな。
「お借りしたラグナロクはセルフィに専属で操縦してもらうことにしました。あまり頻繁にセントラへ赴いて各国が怪しんでも困りますので、一週間から10日に一度、向かわせることにします。その際は予め通信機で連絡することにします。盗聴の可能性は低いですが、念のため会話は任務で使用する暗号で。エスタにもそう伝えてあります」
「はい」
にっこりと頷いた学園長がふと顔を曇らせた。視線の先にはリノアの隣で俯き加減のママ先生がいる。
よく見れば、額にうっすらと汗をかいていた。
それに気付いた時には、学園長がもう彼女のそばで体を支えていた。その支えを頼るようにママ先生は少しだけよろめいた。
「イデア、大丈夫ですか?顔色が」
「ええ、少し疲れたみたいです。しばらく休んで参りますわ。リノアさんもスコールも準備で慌ただしいとは思いますが、今日は早めにお休みなさい」
「あの…イデアさん。もしかして、エスタに来る前から具合が良くなかったんじゃないですか?」
それには薄々俺も気付いていたが、長距離の移動のせいでの疲労だと思っていた。が、違っていたらしい。
リノアの事で頭がいっぱいだったとはいえ、体調不良を見抜けなかった自分自身へ内心舌打ちした。
「嘘を言ってもこれではだめですね。ごめんなさい、あなたがこんな大変な時に…」
「そんな…!いいんです。明日は二人で向こうに行きます。ゆっくり治して下さい。何かあればスコールに連絡を入れて貰いますし。ご本人がいらっしゃらないのに、勝手におうちへ上がり込んでしまって申し訳ないのですが」
「いいえ、そんな事は気になさらないで。……もしかして、働きましたか?」
ママ先生は突然脈絡の無さそうな質問をリノアにした。けれど、リノアにはその意味がはっきりと分かったようだ。頷いて先生の手を両手で包むように握った。
「はっきりとは申し上げにくいんですが、多分」
「それでいいんです。慣れるまで気持ちが悪いと思いますが、気にしないように」
(一体なんの話だ?)
心の声がずいぶん顔に出てしまっていたようだ、俺を見たママ先生が青い顔をしながらもクスクスと笑った。
先生は夫に促されるがまま椅子へ大儀そうに腰掛けた。彼女が密かに気に入っている赤い布張りの椅子だ。
「魔女には魔女特有の『勘』のようなものがあるのです。かつての魔女でそれを強く感じていた者は、未来まで視えていたとか」
「そんなことが?」
「ええ。けれど、それは血族間での結婚を繰り返していた遥か昔の事で、今では魔法ぐらいしか『人』と『魔女』の差はないでしょう」
だが、その小さいように思える差で国が乱れたり傾く事もあるのだ。
果たして、俺たちの代でそれが解決する日は来るのだろうか—————。
少し考えに耽っていたのを見抜いたように、元魔女はまたにこやかに笑った。
「きっと、今回の事も大丈夫ですよ。リノアさんもそう思うでしょう?」
「はい。最初は自分の変化が怖かったですが、今は段々と大丈夫な気がしてきました」
「いやはや。善い魔女というのは皆、ポジティブなのでしょうかねぇ?」
話を聞いていた学園長が頭を掻きながら苦笑した。それには俺も同感だった。
孤児院にいた頃、先生はいつも絶えず笑っていたイメージしか湧かない。
リノアも苦しんでいる事は多々あるが、最終的には微笑みを絶やす事は無い。
魔女の本当の魅力を挙げるとすれば、この笑顔だろう。
「いいえ、そうじゃありませんわ。騎士殿たちが心配性なだけですよ」
「それ、分かります!スコールってちょっと過保護気味というか心配性過ぎる時があって。でも、それが嬉しいんですけど…」
最後はどんどん小さな声になっていったが、はっきりと告げたリノアが顔を真っ赤にした。
困ったように笑って視線をこっちに向けてきたので、突然の告白に耐えていたのに、赤面が移ってしまった。
視線のやり場に、困るじゃないか…!
「あらあら」
「おやおや」
クレイマー夫妻は同時に呟いて微笑みあった。
どうやら、先輩魔女と騎士は以心伝心でもあるらしかった。
***
「アンジェロは…お留守番だよね」
相棒のブラッシングをしながら、リノアはアンジェロの口元に手をやると、『彼女』は鼻先を愛おしげに擦りつけてから何度も手の甲を舐めていた。
あの後、必要な荷物をラグナロクに積み込み終えると、リノアとそのまま俺の部屋へ戻ってきた。
彼女は大丈夫な気がしていると言っていたが、やはり心細いらしいく、いつもよりも手にや腕に触れてくる。リノアがスキンシップを求める時は、心が揺れている時に多い。
「そうだな。その方がいいと思う」
「これから何があるか分からないもんね。ゼルにお願いしようかな?アンジェロもゼルが大好きみたいだし」
「そうだな、適任だと思う。今なら部屋にいるはずだぞ。俺も後で年少組の寮長に頼んでおく。ゼルがいない時もあるはずだからな。知ってたか?アンジェロってあいつらのアイドルなんだ」
「うん、何人かでまとまって来て『僕たちにお散歩やらせて』ってよくお願いされるよ。アンジェロもみんなが遊んでくれるから嬉しいみたい」
ブラシに溜まった愛犬の毛を一纏めにして、彼女は体の近くに寄せていたゴミ箱へそれを捨てた。
そのまま立ち上がったところを見ると、内線ではなく直接ゼルの部屋へ行くようだ。
俺はベッドに腰掛け後ろ姿ををじっと見ていた。エスタでは健康になんら問題は無いと言われていたが、彼女の背がいつもより細く見えた。あの部分には今のところ変化は無いようだ。
「リノア」
「なぁに?」
「一応、病人って事になってるから寄り道するなよ」
振り返ったリノアは眩しそうに目を細めてから口角だけを器用に上げた。
「大丈夫、すぐに戻るから…あ、やっぱり少し寄り道したいかも」
「どこに?」
人が多いところはダメだぞ、と前置きしてから聞くと、リノアは目をくるりと上へ向けた。考え事をアウトプットする時のリノアの癖だ。
寄り道するなと言ったのにすぐにハードルを下げてしまった。最近の俺は、どうもリノアに甘い。
「中庭なら…大丈夫かな。まだ暑いけど、お日さまの下で少し外の空気を吸いたい」
リノアも、もしかしたらエスタの人工的な天気は苦手なのかもしれない。
ガーデン内だしさほど問題は起こらないと踏んで、頷いた。
「少しだけな。誰か来たらすぐに帰ってこいよ。その…背中のこともある」
「うん、ありがとう!スコールも来る?」
「頼まれてたマニュアルを後輩に渡してからな」
「了解しました!」
ツヤツヤになったアンジェロを伴って部屋を出たリノアを見送って、ベッドから立ち上がった。
1学年下に属するSeeDにある任務のマニュアルだけ頼まれていたが、引き継ぎ書も必要な気がしてきた。
PCをすぐに立ち上げて、元からあった引き継ぎ書の文面から追加項目と削除する部分を一通り確認して手直しをした。
時間にすれば、トータルで30分も経っていなかったと思う。
ノックも無く扉が開いたので、プリントアウトしていた書類から視線を上げると、リノアが部屋に入ってくるところだった。アンジェロはもう側にいなかった。早朝になる出発時間を考えてゼルに引き渡したのだろう。
意気揚々と出て行った割に戻ったら少し肩を落としていたリノアを見て、アンジェロとの別れが寂しいのだと思った——最初は。
「スコール」
俺の名を呼ぶそのトーンを耳にした瞬間、考えるよりも先に体が動いた。バサバサと慌てて置いた書類がデスクを滑り落ちる音を後ろで聞いたが、そんな事はどうでもよかった。
急いでリノアの両肩に触れて、もう涙を溢れさせていた彼女を宥めるように控えめに声をかけた。
「どうした?」
「ご、ごめんね。ちょっとびっくりして」
急いで笑顔を作ったリノアが、自分の掌で乱暴に涙を拭った。
利き手と逆の手を使って涙を拭いたので理由の無い違和感を感じたが、それはすぐに解決した。
彼女の右手に花が握られていたからだ。中庭で摘んだのだろう、その花を俺の目線まで掲げた。
「これ、何に見える?」
「シロツメクサ…か?」
植物に疎い俺でも、幼少の頃から慣れ親しんだ花だった。名前には自信が無かったが。
「うん、だよね。あのね、驚かないで聞いてくれる?」
「リノアの寝相以外、大抵驚かなくなったから大丈夫だ」
少し冗談めかして答えると、案の定彼女は小さく肩を揺らしてくれて心底ホッとした。
「ポケットに羽根が入ってたの。多分、あの時の。小さいの一枚きりだったし、ゴミにはならないかなと思って中庭の芝生に落としたの。そうしたら…」
一度言葉を切ってから告げた言葉に、リノア自身もまだ信じられないといった顔をしていた。
話を聞いた俺の顔も、恐らく同じような表情になっていたに違いない。
俄かには信じがたい話だった。
これも魔女の力なのだろうか。
先人の魔女たちも、こんな力を持っていたのだろうか。
リノアの放つ攻撃魔法の方が何倍もすごい事のはずなのに、こっちの方が心を乱した。
「スコールどうしよう…私の羽根から、この花が生まれたの」