【0823—Feliz cumpleaños—】


最初は控えめにそれが聞こえた。聞き慣れた電子音。気怠い体は無視を選択するが、そういうわけにもいかないと脳が動き出す。
覚醒するタイミングと同じようにその音が増していく。いや、ようやく本来の音量だと認識出来るようになっただけだ。

「………はい」
ベッド脇の内線の受話器を取ると、優しく控えめな声が聞こえてきた。

”おはようございます、スコール。ごめんなさい、まだ眠っていましたか?”
「ママ先生、おはようございます。すみません、ただの寝坊です。何かありましたか?」
むくりと起き上がって片側だけ膝を立てると、ブランケットがずれて、隣で眠る彼女の肌を露出させた。
うつ伏せになっている彼女の背中は何度も見ているのに、昨日は何を思ったか執拗に責め立ててしまった気がする。
証拠を隠蔽するようにすっぽりと毛布で覆うと、リノアの顔がすこしだけ綻んだ。子供みたいな寝顔だ。

”実は、あなたに渡したいものがあるのです。時間のある時で構いません、こちらに来て頂いてもよろしいかしら?シドの部屋におりますから”
「分かりました。10分後にそちらに伺います。……ええ、大丈夫です。はい、ではまた」
ガチャリと置いた受話器のプラスチック音に気付いたリノアモゾモゾと動き出した。

「ん…………おはよ、スコール。どうしたの?おしごと?」
「おはよう、リノア。すまない、ちょっとママ先生のところへ行ってくる」
「りょうかいです。いってらっしゃい」
短いキスを交わしてからベッドを出ると背中に声を掛けられた。

「ね、あさごはん、なにがいい?」
「そうだな…戻ってくるまでに考えておくよ」
「はぁい。きをつけてね〜」
芋虫のように再び毛布に包まったリノアが、二度寝の体制をとった。
時計の針は、間もなく9時30分。

(このぶんじゃ…食事は朝昼兼ねるな)
その原因を作った俺だから、文句は微塵も言えなかった。



***



「わざわざすみません。大丈夫でしたか?もっと後でも良かったのですよ?」
「いえ、仕事もありますから」
「そうですか。そんな大したものではないのですが、あなたには最初に渡したくて」
そう言ってママ先生が目の前に出してきたのは、小振りなビン二つだった。
中には赤茶色をしたものが入っている——ジャムのようだ。

「先生、これは?」
「イチジクのジャムです。家の菜園のもので作りました。久しぶりに作ってみたくなったのです。あなたはこれがとても好きだったのを思い出して……誕生日おめでとう、スコール。あなたが今、こうして健やかでいてくれる事を、私はとても幸せに思います」
「ありがとうございます。そういえば…一口だけと言って、こっそりなめさせてもらいましたよね」
それは先生と俺の、夏にやってくる秘密だった。ジャムを作るとこっそり呼んでくれて、味見と称してスプーンの先につけてくれたのだ。
あの瞬間だけは、特別扱いされている事が嬉しくて…毎日イチジクが実ればいいのに、なんて思っていた。

「先生、味見してもいいですか?」
「まあ!」
コロコロと嬉しそうに笑った先生が、茶器をしまう棚からティースプーンを持ってきてくれた。
パカッと小気味好い音をさせて蓋を取ると、スプーンの先を引っ掛けるようにジャムを掬い取った。
キラキラ輝いてとろりとしたものを口にした瞬間、






全てが、戻ってきた。



なぜ、夏を先生の家で過ごしたのか。
どうして昨日、ゼルにリノアの病名を告げられなかったのか。
昨日のスイートピーを置いた犯人も。

真っ白な羽根も、鳥も、幼い俺も、極彩色の魔法も、なにもかも。


(全部……思い出した)



「スコールどうしました?具合でも悪いのですか?」
動けなくなってしまった俺に気付いたママ先生が、心配げにそっと手に手を重ねてくれた。
先生の手は、当たり前だが、以前より加齢を感じさせるものだった。けれど、昔と変わらず慈愛に満ちた暖かさだった。

「あ、いえ、ジャムの味が…昔と全然変わってなくて、嬉しくなってしまって…」
「そうですか。気に入ってくれましたか?」
「ええ、とても。本当にありがとうございます。大事に食べます」
「また来年、作りますね」
「はい。楽しみにしてます」
一礼して部屋を出ると、我慢していた涙腺が緩んだ。
上を見上げて鼻を一度だけ啜ってから、元来た道を歩きだした。
途中、廊下に備え付けられている電話の受話器をあげた。
自分の部屋の内線番号を押して待つと、すぐにコール音が始まった。
彼女が出てくれることを辛抱強く願う。

きっと、寝ぼけた彼女は、そこが自分の部屋だと思い込んでうっかり受話器を取ってしまうだろう。
そして、俺の声を聞いて一安心するんだ。
俺がリクエストする朝食のメニューを聞いて、それなら簡単と笑って、電話を置けばすぐに用意を始めてくれるはずだ。

そうだ。寄り道して、仕事が終わったら二人で読める本を図書室に借りにいこう。
どんな本がいいだろう…図書委員は、花がたくさん出てくる本を知っているだろうか。

回り道をして、部屋をのドアを開ければ、きっと甘い匂いがするんだ。
出迎えてくれたリノアは、俺が持っているジャムにすぐ気付いて、目を輝かせてくれるんだ。
パンケーキにぴったりだね、と言ってくれて。

それにしても、なんというか。

抱えきれないプレゼントを受け取った気分だ。
おまけに、誰にも言えない極秘任務を命じられたような重いものまである。

「あいつめ。全く、とんだギフトだ」





”も、もしもし?!?!?!?!?!”

ほら、やっぱり慌ててる。
リノアの事だ、ベッドからうっかり転んでないといいんだが。




「リノア?俺だけど。朝食のリクエストしてもいいか?」








END

Happy Birthday Squall !
2014/08/23