【0822—guisante dulce—】


SeeDも休みぐらい取れる組織じゃないと、この先なり手がいない——そんな話を誰かがしたらしい。
休みぐらい取れる組織だと内外にアピールする目的と(要は上が取れば下が取りやすくなるからだ)今迄の働きぶりを評価(?)され、半ば無理矢理取らされた『超長期休暇』を終えてガーデンに戻ってくる時(半分ははリノアの病気療養の付き添いだったが)、仕事が山積みになっていると覚悟していたが、実際は普段の休み明けとほぼ変わらない量で拍子抜けした。

一年を通じて過ごしやすいなんて言われているが、やはりバラムは暑い。まだ残暑厳しい季節だから当たり前なのだが、ここの暑さは世界一だと思う。
市街地にはこの季節、各国からバカンスに訪れる人でごった返す。それとは逆にガーデン内はいつもより閑散としていた。
初体験の休みボケをごまかしながら自室で内勤に勤しんでいると、扉をノックする音がした。

「…どうぞ」
「お邪魔するわね」
澄んだ声で声をかけてきたのはキスティスだった。教官の制服を着ているという事は、時期的に考えると候補生の訓練に同行していたらしい。

「何か用か?」
「あら、用が無いと来ちゃダメだったかしら?」
SeeDのタマゴ達が口を揃えて言う『アコガレの教官』の顔で微笑んだ彼女は、デスクまで近づいてコトリと何かを置いた。チラッと見ると細長い箱だった。

「なんだ?」
「あなた、明日誕生日でしょ?一日早いけどプレゼントよ。明日、シド学園長の会議に同行するから明日渡せないし」
「誕生日?あぁ…そういえばそうだった。気を遣わせてすまない」
「気にしないで。お気に召すかしら?」
今すぐ開けろということらしい。
手を伸ばして箱を手に取ったそれは、大きさの割にずっしりとしている。
包みを剥がして箱を開けると、黒い革巻きの万年筆が入っていた。
キャップにある小さな焼印に見覚えがあった。確か、ガルバディアの老舗メーカーのものだ。
書損した書類の上に早速ペンを走らせると、想像以上の滑らかな書き心地に感心した。

「いい品だな」
「あなたの立場上、そろそろそういうのが必要になると思って。気に入ってくれたなら使ってね」
「ありがとう。早速使わせてもらう」
「どういたしまして。じゃ、またね」
「ああ」
颯爽と去っていこうとした彼女がドアの前で急に立ち止まった。

「あら?」
屈んで何かを拾い上げると、腕を上げて俺に見せてきた。
どうやら花のようだ。黄緑の細い茎に柔らかそうなピンクの花弁が所々に付いている。
どうにもこの殺風景な部屋には似つかわしくないものだ。同時に、彼女を思い出す色でもあった。

「ねぇ、スコール。あなた、誰かからお花貰ったの?」
「いや、別に」
「そう…床にスイートピーが落ちてたわよ。一輪だけ。入るとき気付かなかったなんて変ね。いらないなら貰っていいかしら?かわいいし」
「ああ、別に構わない」
「じゃ、頂いていくわね。それにしても、開花時期終わってるはずなのにすごく綺麗ね…」
ドアを出ながら独り言のように呟いて去っていったキスティスの背中を見送ると、再び視線を書類に戻した。

花なんて、いつから落ちてたのだろう。全く気付かなかった。
けれどあの花を見た瞬間、心の奥がザワッとした。理由は分からないが。
心のどこかで引っかかりを感じつつも、大した事じゃないと結論付けた。

しばらくして、使っていたペンをさっきの万年筆にチェンジした。
真新しい文具は、古くからあったように手に馴染んで、書類を仕上げるスピードをアップさせるのに一役買ってくれそうだった。



***



仕事を一通り終わらせると、電話の受話器を取った。差し込む西日が眩しくても、何度も同じ内線番号を押しているから指が勝手に動いた。
コール音を何度か耳にしながらあの声で出てくれるのを待ったが、諦めて受話器を置いた。外出しているのか?
受話器から携帯電話に持ち替えて、リダイヤルから目当ての人物を引っ張りだして通話ボタンを押す。

(これで出なかったら部屋まで直接行くしか無いな)
女子寮はなるべくなら足を踏み入れたくない場所だ。
彼女の部屋へ赴くのは問題ないが、他人に目撃されると色々と話に尾ひれが付くのが面倒くさい。
が、あれこれ考えているのが杞憂に終わった。すぐにガサッと音がしたかと思えば、あの鈴のような声が聞こえてきた。

”はーい。どしたの?スコール”
「内線したんだが、出なかったからこっちにかけた。……外にいるのか?」
”うん。ゼルとアンジェロと中庭にいるよ〜。風が涼しくて気持ちいい。お仕事は?終わったの?”
「ああ、さっき終わった。そっち、行ってもいいか?」
”うん、おいでよ!ふたりもきっとスコールに会いたがってるよ!”
「わかった。すぐ行く」
終話ボタンを押して、迷ったが携帯をベッドへ放り投げた。どうしても俺に用事があるなら、校内放送で呼び出すはずだ。

リノアはガーデンの中で、校庭へ続く中庭を一番気に入っている。暇さえあればそこで本を読んだり、アンジェロと遊んだりしている。

「おーい、ここだここだ!」
木陰の多い階段を降りていくと、ゼルが大きく腕を振って俺を呼んだ。すぐ後ろのベンチに座っているリノアは、こっそり小さく手を振ってニコニコと笑っている。
アンジェロは俺を見つけて素早く足元まで来ると、高い声で泣きながら鼻先を手に当ててきた。
彼女のご要望通り頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。久しぶりの艶やかな毛並の感触に心が癒される。

「休み、満喫出来たか?」
「まぁ、それなりに。少し頭と体が鈍った気がする」
「スコールはそんぐらいが丁度いいんだよ」
俺の肩を叩いてカカカっと笑ったゼルが、目線をリノアの方へ向けた。

「リノアも、元気になって良かったな。で、結局なんの病気だったんだ?」
「えと………」
めずらしく歯切れの悪いリノアに苦笑して助け舟を出そうとした。
が、おかしい。
俺も彼女の病気の事を一切思い出せない。
俺の長期休暇のタイミングで彼女が病気になり、療養も兼ねてママ先生の家で過ごした。これは紛れも無い事実なのに、何か大事なものがそっくり抜け落ちているような感覚に陥る。
リノアも同じ気持ちなのか、困り果てて縋るような顔でこっちを見ている。
気まずい空気になった俺たちに気付いたゼルが突然、ボムよりも赤い顔で焦りだした。アワアワと意味不明な言葉を口走っている。
こういう時のゼルは、要注意だ。

「も、もしかして…アレなのか?そうなのか?!」
「アレ?」
「ほら、アレだよ。病気じゃないけど具合が悪くなる…」
「病気じゃないのに具合が悪くなるなんてあるのか?」
「あるだろ!一つだけ」
焦りから興奮に変わったゼルが、大声で叫んだ。

「妊し…!うぐっ!」
「……おい、いくら物知りゼルでも言って良い事と悪い事があるだろ」
「わ、わりぃ……」
絞め技を使ってかろうじて皆まで言わせずに済んだが、一部始終を見ていたリノアは顔を真っ赤にさせて固まってしまっている。

(疲れた……帰ろう)
もう少し風に当たりたかったが、これ以上ここにいれば、ヤブヘビになりそうだ。

「リノア、アンジェロの食事の時間だろ」
「あ、うん。ゼル、ありがとうね、アンジェロ預かってくれて」
「イテテ…ん?いや、気にすんなって。あ、スコール!23日も内勤だろ。明日、お前の誕生日だから集まってパ〜ッとやろーぜ!」
「断る……って言っても無駄なんだろうな。でも、キスティスはいいのか?あいつ、そういうの呼ばないと意外と拗ねるぞ」
「あ〜…それもそうだな。じゃあまた今度」
「ああ、『今度』な。心遣いだけ受け取っておく。ありがとう」
礼を伝えると、ゼルは鼻を擦りながら照れ笑いを浮かべた。
次にそんな話になる頃には、もう主役は別の人物に変わっているだろう。それが俺たちの日常だ。
そんな時間も思い出の一つとして、ありがたく胸にしまっておくことにした。

「ねぇ、さっきのゼルが言いたかった事って、私達がそういう…」
歩幅を揃えて隣で歩くリノアが小声で聞いてきたので、黒目がちな瞳を覗き込むように同じように小声で耳打ちした。

「心当たりあるのか?」
「!」
「そうだよな、あれだけ散々…」
「ちょっと!ストップ、ストップ〜〜〜〜〜!」
慌てて俺の口元を塞ごうとしてきた両腕をひらっとかわすと、その動きが遊んでいるように見えたらしいアンジェロがピョンピョンと跳ねだした。

「やだ、ちょっと、アンジェロまで!」
犬なのに鹿のように跳ねるので、リノアも抑えられないようだ。置いてきぼりにされた彼女なりの仕返しなのかもしれない。

「あははははっ!」
耐えきれなくなって声を上げて笑ってしまった。
廊下の真ん中で笑う俺を見ていたリノアが、ご立腹顔を不可解なものを見るような顔に変えた。
そんなに笑う俺が変な顔ているのか?
ついアンジェロを見つめたが、彼女は『もっと!続き続き!』と息を弾ませて期待の眼差しでこっちを見るだけだった。

「なんか…前にもこんなこと…あった気がするんだけど…」
「え?」
「ううん、なんでもない。お部屋に戻ろ!スコールの誕生日の準備しなくっちゃ!」
「別にそんなことしなくても…」
「だーめ!今年はプレゼント用意出来なかったから、せめてそのくらいさせて。お願い」
両手を合わせて片目を瞑った彼女の仕草が可愛らしくて、何度目か分からないが、ほだされてしまった。

「じゃあ、お言葉に甘えて祝われるよ」
「そうそう!素直が一番です!」
頬を少し染めて、俺よりも嬉しそうなリノアの表情がなんだかくすぐったくて視線を逸らすと、視界をヒュッと何かが通り過ぎた。

(…鳥?)
「どうしたの?」
「白い鳥がいた気がして…カモメだと思う
今日はいつもより心が落ち着かない。子供みたいに誕生日が待ち遠しいなんてことは無いはずなのに。

「そうなの?わたし、スコールしか見てなかったから分かんなかった〜」
さも当然のように言った彼女の台詞は、なかなかの破壊力で理性を揺さぶった。