SWEETSOUL





「今日は小春日和ね」

普段よりもまばらな人数が黙々と仕事をこなすSeeD指令室の窓の外を見ながら、キスティスがポツリと呟いた。
最後の書類にサインを認めたスコールは、つられるように彼女の視線の方向を追った。
葉がとうに落ちた木々が全く揺れていないのに気付いて、バラムの冬(と言ってもセルフィ曰く、気温に置き換えるとトラビアの春らしい)独特の湿った北風が珍しく吹いていないのを知る。雲ひとつない青空はガラス越しでも澄んで美しかった。
確かに、今日はいい天気の部類だ。

「お天気良くて良かったわね。リノアもご機嫌だったんじゃない?」

突然出てきた名前に、ほんの一瞬だけ表情を和らげたスコールは、目線を机に戻した時にはもう、何事も無かったかのように散らばった紙を整理し始めた。

「……かもな」
「え?!あなた、 今日リノアに会ってないの?どうして?」
「毎日顔を合わせる訳じゃない」
「それはそうだけど、そうじゃなくて」

冷静なキスティスの割には珍しく、焦りを滲ませて何か言い連ねようとした時だった。

《誰かいるか⁈》

司令室の通信に飛び込んできたのは、任務に赴いていたスコールよりも1学年先輩SeeD、ウィリアムの声だ。
要人警護として派遣された彼の帰還は今日で間違いないが、緊迫した声に室内にいたSeeD達は皆一様に非常事態と認識した。

《バイトバグが大量発生して走っていた一般の車が巻き込まれた!シュウとニーダ、一緒に実地訓練していた候補生らが応戦してるがジャンクションしていないから人手が足りない。ガーデンの近くだ、すぐ来てくれ!》
「了解した。キスティスはここに残って救護班の編成と、念のため校庭で授業中の生徒の避難命令を。他、ここにいる5名は援護に向かう。雑魚だが数が多いようだ、ジャンクションを怠るな」
「了解!」
「スコール、戻ったら必ず私の所に来てちょうだい。どうしても確認したいことがあるのよ」

慌ただしい場面でこんな事を言うなんて今までなかったな……スコールは一瞬だけ訝しげにキスティスを見つめたが、しっかり頷いてから駆け足で司令室を後にした。



スコール一行が到着してから討伐したバイトバグの群れは14匹、シュウ達が駆逐した数を足すと26匹にもなり、体力に自信のあるSeeD達も流石に疲労を滲ませていた。モンスターの突発的な大量発生は年によって波があるものの、やはり近年起こった月の涙の影響か、今年はいつも以上に多いようだ。
幸運にも死者は出なかったが、車の運転手と候補生数人が重軽傷を負ってしまった。
救護班の報告を確認したスコールは、携帯電話を手に取った。

「……キスティスか?負傷者が出た。戻ったらすぐ上に報告する。さっきの話、いま手短にしてくれないか?」
《お疲れ様。報告ならシュウたちからヒアリングして私が代わりにしておくわ。それよりもあなた、重大任務があるはずでしょ?》
 
真上に昇りつつある陽の光が眩しくて、くるりと背を向けたスコールは、眉を顰めたまま腰に手を当て、忘れてる?まさか派遣任務か?と問いかけた。

《今週、あなたご指名の任務はないわ。ま、今日は指名以外の任務は、順番的に最後だと思うけど》
「どういう事だ?」
《スコールは普段から用意周到って思ってたけど、やっぱり『そっちの方面』は相変わらず疎かったのね》
「おい、さっきから何を……」

やけに回りくどい言い方に、スコールが剣呑気味に遮ろうとしたが、彼女の次の言葉に息を飲んだ。

「彼女、今日が誕生日でしょ?忘れたの?それとも、知らなかったの?」

恐らくキスティスの言う彼女というのは、髪が美しい黒色で、尻尾のない犬を連れて、誰にでも優しい笑みを絶やさず……けれど、自分には特別な素顔を見せてくれる人物の事で間違いないのだろう、スコールはそう判断した。

(リノアが今日、誕生日?)

ドクン、と心臓が強く鳴ってから、動き回った時とは全く別物の汗が全身を伝うのを感じたスコールは、額に手を当てて運悪くモルボルに遭遇した旅人のような台詞を吐いた。

「最悪だ……」

知らなかったーーーースコールはカードで格下に敗北した時よりもがっくり項垂れた。
そもそも誕生日がいつかを聞いていないことに今更ながら気付いた。
いや、話の流れでほんの少し耳にした事はあった。
あれは確か、ガーデンがF.H.に停泊している時のランチの時だ。ゼルと同じで3月だと言っていた。その後すぐに学園長に呼ばれて、何日かまでは分からなかったが、当時は気にも留めなかった。
今では彼女のことは全て知っておきたい、そんなふうに思っているのに、忙しさにかまけて思い出すこともしなかった。

(間抜けにも程がある!)

この時ばかりは、お祭騒ぎに巻き込むのが得意なセルフィと『(自称)女子心理マスター』のアーヴァインがトラビアへ出張中でいないのが悔やまれた。

《やだ、その声じゃ本当に知らなかったのね。でも、どうしてかしらね?リノアなら、自分で言いそうな気がするんだけど》
「そう、だ……な」

自分の不甲斐なさと同時に、スコールもキスティスと同じ疑問が浮かんでいた。
イベント事が好きなタイプのリノアが、自分の誕生日をアピールしないなんてこと、果たしてあるのだろうか?それとも、恋人なら誕生日を把握してるなんて当然で(世間一般じゃそれが当たり前だろう)、サプライズか何かを期待してしまっているのだろうか?
もしそうだとしたら、それこそ頭の痛くなる展開だ。

《朝にプレゼントを渡しに行った時、特に違和感は感じなかったんだけど……とにかく、リノアへ素直に謝った方が良いと思うわ。何しろガーデンは彼女の『身体と精神の保護』が義務付けられてるし……っていうのは建前で、くれぐれも大事な友人が悲しまないようにして頂戴ね!》

彼は電話を切ったキスティスの言う通り、これからどんな任務よりも骨が折れる気のする方向、乗ってきた車に向かって走り出した。
その後ろ姿はやけにピリピリとしたもので、戦闘の残骸撤去をしていた候補生達は、誰かヘマしたから不機嫌なんじゃないか?と囁き合った。



SeeDのトップは、女子寮にあるリノアの部屋のドアの前で深いため息をついてから、呼び鈴を押した。
程なくして音もなく扉が開かれると、リノアは目の前の人物が、酷く憔悴しているように見えて、丸く大きな目を更に見開いた。

「お疲れ様、大変だったみたいだね。疲れた顔してる」
「……今、大丈夫か?」
「うん。スコールは休憩中なのかな?」
「いや、今日はもう仕事の予定は無い」
「そうなの?じゃあ、お茶でもどうぞ」

スコールのジャケットの袖を緩く引っ張りながら、部屋に招き入れたリノアの、愛嬌のある顔をじっと見つめた彼は、黒々とした瞳の奥に自分への期待が込められていないことに驚いた。
彼女の顔から読み取れたのは、スコールに会えた嬉しさと、彼が『わざわざ会いに来た』時に見せるほんの少しのはにかみ。いつも通りのリノアだ。

「コーヒーと紅茶、どっちが良いかな?」
「…紅茶で」

リノアは簡易キッチンの隅で、もう手に取っていたコーヒー豆の入った缶を慌てて茶葉の缶と持ち替えた。
彼女はこの質問を毎回定型文のように尋ねるが、スコールは今までコーヒーしか口にしなかった。

(スコールどうしちゃったんだろう?らしく無いな)

リノアはポットの湯気を目で追いながらぼんやりと思った。
スコールはベッドの定位置に腰掛けながら、躊躇いを含ませた声で、見えない彼女に話しかけた。

「なぁ、聞いてもいいか?」
「ん、なに?」

コポコポと音を立ててカップに紅茶を注ぐリノアは、やっぱり只事じゃなさそうだ、と密かに緊張する。
しかし、彼女がキッチンから顔を出して見たものは、深刻そうな表情でも怒りのオーラでもなかった。
言葉にするなら、かつて彼の部屋で見た幼少時代の写真のように、縋るような瞳ーーーーあの時、アンジェロが怒られた時にする目と一緒と言ったら、散々『泣かされた』記憶がブワッと蘇ったがーーーー今回は、本当にその表現が的確だと思った。
 リノアはカップを乗せたトレーをサイドテーブルに置くと、彼の隣にそっと座った。

「悩み事?」
「いや、そうじゃない……けど」

口籠ったスコールは、膝の上で手を組んで、背中を丸めるように俯いてしまった。
リノアは黙ったまま、スコールが話し始めるのを辛抱強く待った。
やがて、意を決したかのように彼は姿勢を正すと、蒼い光で彼女の黒曜石を捉えた。

「知らなかったんだ。自分でも最低だと思う……悪かった」
「なんのこと?」
「今日が誕生日なんだろ?」

あ、と小さな声を漏らしたリノアは、瞬きを一つしてスコールを穴があくほど見つめた。
自分の誕生日を把握していなかったことで落ち込んでしまっている姿が、やけに可愛らしく見えた彼女は、自分の肩で隣のそれを小突いた。

「そんな顔しないでよ」
「……怒らないのか?」
「怒って欲しいの?」

心底可笑しそうに笑いだしたリノアを見て、スコールはここに来るまでにシュミレートしていた彼女の反応のどれにも当てはまらず、内心混乱する。

「それなんだけど、わたしもギリギリまで忘れてたの」
「それはさすがに嘘だろ?」
「ううん、本当。4日前に思い出したんだよ」

リノアはすくっと立ち上がり、トレーからカップを両手に持つと、一つを差し出した。
彼は受け取ったカップの中身を覗き込んだ。
そこには去年の紅葉をそのまま移したような色が注がれ、戸惑いを隠せない顔が揺れている。

「みんな、あれから目が回るくらい忙しくなったよね。わたしも、魔女のこと色々勉強してるし、生活形態も変わった。……だから必死だったの。誕生日を思い出す余裕がなかったんだ」

スコールは目を眇めて彼女の横顔を観察した。
彼の隣に戻り、温くなった紅葉をこくんと飲みながら淡々と話すリノアに、嘘をついている様子はない。

「わたし、誕生日が来るのが少し怖かった」
「どうして…」
「力のことも、これからのことも、宙ぶらりんで人に頼りっぱなし。それに、この力はまだみんなに恐がられてる。わたしだって恐いと思ってる。この先どうしよう、ずっとそんな存在でいるのかな、って。だから……あ、ごめん。ダメだよねこんなこと言ったら」
「いや……」

スコールはいつもより小さな返事を返し、飲み慣れない紅茶を一気に喉へ流し込んだ。
独特の苦味に顔を顰めたふりをして、悔しさに打ちのめされそうになっていた心を隠す。

(俺はまだ、リノアを守りきれていない)

力も時間も、何もかもが足りなくて、必死で手にしようと前しか向かないようにしていた。けれど、そのせいで彼女をおざなりにしてしまっていたのだろうか。
本来なら祝福に包まれるはずの誕生日でさえ、見えない不安に怯えさせてしまった。
もっと機微に彼女を見つめるべきだった……こんな俺が騎士を名乗るなんて、お笑い種だ。

いつの間にか、カップを両手で強く握りしめていたらしい。ふとそこに、何かが乗った。
スコールが手元に焦点を合わせると、リノアの手が、羽根を乗せたようにふわり重ねられていた。
彼女の顔も、掌のように柔らかで、スコールと目が合うと、花が咲くような笑顔を向けた。

「でもね、そういう時はスコールの顔を思い浮かべるの。さっきみたいに考えちゃうこともあるけど、今でもスコールが……諦めないでいてくれるから、まだ頑張れる、頑張ろうって気になれるの」

宇宙に投げ出されたリノアを救った彼の言葉は、あれから声に出して告げられることは無かったが、あの時から彼女の心の礎となっている。
リノアはその想いをいつか彼に伝えたかったが、ようやくそれが言えたことにホッとしていた。

「辛いことも悲しいこともあるけど、それ以上に、嬉しいことも幸せだって思うこともある。それって、生きてるから感じることなんだよね。だから、誕生日をこうして迎えられるのは、スコールのおかげなんだよ……ありがとう」
「リノア……」

リノアがいてくれたから、俺はこうしてここにいる。そう思っていたのに、彼女も同じことを思っていたなんて。
彼の胸が不意に熱くなった。

「やっぱり、リノアは強いな」

スコールはリノアと自分のカップを引き取ると、彼女の腕を掴んで自分の元へ、くん、と引き寄せた。
さらりと音を立てて肩から落ちる黒髪、小さな顔にある、庇護を掻き立てられる頬や口元、そして、赤子のようなひたむきさで彼の眼差しを受け止めている深い色の瞳。
感謝も尊敬も、リノアを思う気持ちも……今、この状況を的確に表現できる言葉が見つからない。
けれど、溢れそうな感情をどうにか伝えたくて、スコールは彼女の肩口に顔を埋めて抱きしめた腕に力を込めた。
リノアも彼の背に手を回してぴったりと縋り付く。

言わなければ分からない、伝わらないと言ったのは誰の言葉だったか。
ただ、この時ばかりは、抱き合った温もりから何かが湧出し、心が満ちていくのをしっかりと感じ取っていた。
短い沈黙を挟んで、スコールは細やかな仕草でリノアの耳に髪をかけると、彼女だけにしか使わない声でそっと囁いた。

「改めて、誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう。みんなにもおめでとうって言われて嬉しかったけど、やっぱりスコールからの言葉が一番嬉しい」
「みんな?」
「うん。セルフィとアーヴァインはトラビアに発つ前に、ゼルは昨日電話で、キスティスは今朝……って、スコール?どうしたの?」

リノアからいつものメンバーの名前が飛び出すたびに、死刑宣告を受けたようにスコールが沈んでいった。

「もしかしなくても俺以外、誕生日を知ってたってことか。本当に最低だな」
「そ、そんなことないよ!私がスコールに言ってなかっただけで……!」
「……なぁ、こんな俺で本当にいいのか?」

自信喪失に逆戻りしたスコールがぼそりと漏らすと、さっきまでの笑顔から一転、リノアは目を吊り上げてスコールの頬をギュッと抓った。

「…つっ!な、なんだよ」
「そういうこと言わない!わたしがスコールじゃなきゃ、い・や・な・の!そういうところも含めて、好きなの!」
「………………」
「な、なに?」

かつて無いほど固まってしまったスコールを、怪訝そうに見つめたリノアは、抓った頬ではなく耳が真っ赤になっていることに気づいた。
そこで改めて自分の台詞を反芻して、彼女の顔も瞬く間に朱がさした。
仲間達はこういうふたりを、『初々しいまま』や『微笑ましい』という言葉で密かに称賛するが、当事者にとっては恋をしていると自覚する気恥ずかしいワンシーンだ。
赤い顔のまま、リノアはもう一度強くスコールに抱きついた。受け止めたスコールの腕も、さっきより脈が早い。

「だって、本当のことだもの」
「……盛大な告白をされて、理性が飛びそうになった」

リノアも照れたことでようやく余裕を取り戻したスコールは、熱っぽい頬に顔を寄せた。
きっと今の俺は、緩みきってやに下がっただらしない顔だ。けれどリノアはもう瞳を閉じていてくれるから、それでも構わない。

躊躇いなく重ねた唇は、彼が飲んだ紅茶よりずっと熱くて、彼女の砂糖入りのそれよりずっと甘い。
スコールがその感触に浸っていると、焦れたリノアの舌が彼の薄い下唇をぺろりと舐めた。
悪戯めいた行動に彼は口角を引き上げると、大きく口を開いて、差し出された舌ごと吸いつく。
ふたりの境界が曖昧になるほど濃密な口付けは離れ難かったが、スコールは必ず聞いておかなければならないことを言葉にした。

「間に合わなかったけど、プレゼント…何がいい?」
「…気に、しないで。気持ちだけで十分だよ」
「そうはいかない。欲しいもの、あるだろ?」

食い下がったスコールは、冬の夜空のような瞳を覗き込んだ。乱れた呼吸をゆっくり整えたリノアは、くるりと視線を右上に向けた。

「ん〜…じゃあ、スコールが『わたしっぽい』と思うやつ」
「なんだそれ、随分と抽象的だな」
「ペンでもぬいぐるみでもなんでもいいの。それを見てスコールがわたしを思い浮かべたもの、それが欲しいな」
「難しいな……時間かかってもいいか?」
「もちろん!あ、来年の誕生日前日までが締切ね」
「了解」

さすがにそんなにかからないぞ、と肩を揺らしながらスコールは答えたが、リノアが一瞬だけ口を歪めたのを見逃さなかった。

「どうした?」
「ん……もうお仕事って、終わりなんだよね?」
「余程の事がなければ」
「じゃあ、急な任務が入ったり呼び出されるまででいいの。誕生日だから…もうひとつ、ワガママ聞いて欲しいな」

そこで言葉を切って、震える吐息を吐き出したリノアは、甘えるように鼻先を彼の逞しい胸に擦り付けた。

「お願い、今だけスコールを独り占めさせて」
「…………!」

涙声になって小さく強請る声が純情すぎて、せつなくて。
自分も泣きたくなる心地がしたスコールは、強く、強く、リノアを抱きしめた。

(ああ、そうだ、思い出した……)

これこそ、さっきまで見つからなかった言葉だ。
甘く情熱的に感じる時もあれば、照れ臭くて陳腐にも聞こえてしまう……だけど、ふたりには無くてはならない唯一無二のそれ。
それを飾り立ててくれるプレゼントも花もケーキも無い。
本音を言えば、死にそうなくらい恥ずかしい台詞だ。
でも今は、ちゃんと想いを込めて、贈ろう。






「リノア、生まれてきてくれてありがとう。愛してる」





END

 

リノア、お誕生日おめでとう。

たくさんの愛を込めて。

 

 

 ※こちらの後日談はWEB拍手に掲載しました。よろしければどうぞ。

 

 

 

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