「さっきから、どうしてこっち見てるの?」
「べつに…なんとなく」
食堂での夕食後、スコールに誘われるまま彼の部屋に来てから、私はずっと、スコールの視線が作る檻に囚われている。
誘ったくせに、仕事があるからってデスクに直行した彼は、ふとした時にこっちをチラチラと確認している。私が部屋の中を動く度に、ご丁寧に首まで動かして。
1・2回なら分からないかもだけど、流石にそれ以上だと鈍感な私でも気付いてしまう。

彼が時々読む新聞をベッドで広げていた私は、手が汗ばんでいることに気づいた。紙を捲る指がしっとりとして、難なく次の見出しに目を移せる。
けれど、文字なんて頭を通過するだけで、全く何が書いてあるのか分からなかった。

だって、彼の目がどんどん熱っぽくなっている気がするの。
鋳物のお鍋みたいに、ゆっくりだけど確実に熱が広がって、なかなか冷めないみたいに。蓋をすれば、想いの水蒸気が吹き出しちゃいそうな熱さ。
今日のアップルパイ用に煮詰めたリンゴを思い出しながら、そんな事を思っていたら、頬杖をつきながらこっちをじっと見ていた彼の視線に気づいて俯いた。上半身が熱い。

あの目はだめ。
私を包み込むような、それでいて何もかもを暴くような…遠い水平線の向こうのように、いつもよりも深みを増している青い目。
きっと私、今日剥いたリンゴよりも…いいえ、昨日の夕焼けよりも赤くなってると思う。

どうしてずっとこっちを見ているの?私の顔になにか付いているのかな?
もしかして、お茶を淹れ直して欲しいのかな?
私って気が利かないって思われてるのかもしれない。今更だけど。

「ねぇ、ずっと見られてると緊張するんだけど」
「どうして?」
「どうして……って」
だって、好きな人に見つめられたらドキドキしたり緊張するのは当たり前なのに。
とうとう我慢出来ずに、新聞を顔の位置まで持ち上げて目線ガードを図った。

「それ、邪魔」
「…………」
「どけて」
「いや」
「…………」
ややあって、小さな溜息の後、タイピングする音と、ペンが走る音が聞こえてきた。
やっと仕事に戻ったみたい。
ようやくこっちも緊張感から解放された気がした。
グレーの端から彼を覗こうとしたけれど、まだ視線を感じている気がしてそのままでいると、紙面にピシッと何かが当たった。
その音にびっくりして、カサリと音を立てて腕を下ろすと、膝の隣に白い紙屑。
やだ、丸めて投げつけてきたんだわ!

スコールにしては、ものすごく子供っぽい嫌がらせ(?)に思わず睨んだけれど、そんな時に限って目線は資料に落とされて真面目を装っていて。
なんて…なんて都合のいいブルーアイズ!

彼のをそっくりそのままお返しするように溜息をついて、持ち主に不当な扱いを受けた書類を開く。

今日のスコールは何だかおかしい。
そういえば、午後にママ先生と作ったアップルパイを届けた時も、なんだかそわそわしていた気がする。
食堂にいた時も、(すぐに私の視線に気付いちゃうから詳しく観察は出来ないけれど)時折、切なそうな顔をしていたかも。
買ってもらった風船の紐をうっかり離してしまった時みたいに、諦めなきゃならないけど泣きたい…そんな顔。
公衆の面前では絶対にしない顔なのに。

……紙飛行機でも作って投げ返しちゃおうかしら?
広げ終わると、ノートの切れ端に手書きのメモらしきものが出てきた。
筆跡からいって、間違いなく前にいる彼が書いたもの。
会議でメモをしたものなのか…ごく真面目な文章の下に、罫線を跳躍したように斜めに走り書きされたものがあった。

いつの間にか
ずっと
どうしても
今も
ふとした時
思い出せば
笑っても
泣いても
怒っても
朝も
昼も
晩も
たとえ近くにいなくても
・・

こんな言葉たちを『中括弧 }』で括って集約させて、その横に一つの単語が書いてあった。読んだ瞬間、目を疑ってしまった。同時に、顔がさっき以上に熱を帯びた。
普段の彼なら、滅多に口にしない言葉だったし、こういった激情に近いものは、私の前にさえ殆ど晒さない人だったから。
どんな時に書かれたものかは分からない。乱雑に書かれたものだから、ラブレターではないことは確か。
でも、ラブレターなんて生半可に思えるぐらいに、情熱的で。
彼の心臓を掴んだかのように錯覚しちゃって、慌てて手を放すと、それはやっぱりただの紙で、ゆっくりと膝の上に着地した。
それが合図のように、五感が研ぎ澄まされていく。

私の心臓の音がうるさい。
ベッドに付いた彼の匂いが、今になって鼻腔をくすぐる。
かばうように二の腕を触ったら、やけに吸い付く感触で彼の指使いを思い出す。
ごまかすように飲んだコーヒーが、冷めて甘すぎる。
さっきまで与えられていた目線が欲しくて、パソコンから顔を上げて欲しくて、彼に目で訴えてみる。
彼の気配すら、今の私にはニトログリセリンのような危険を孕んでいて、危うさに目眩を起こしそう。

下を向いて、もう一度紙を覗き込むと、一番下の部分に真新しいインクの滲んだ箇所があった。
時限爆弾でも取り付けられたのか、この紙の中で一番乱れていたそれは、ほんの一言だけ。



”Q.リノアなら、こういう時、どうする?”



私なら、どうするんだろう。
指の背を口元に当てて考えてみた。
こんなにも相手への想いを持て余してしまってるとしたら、どうしたいだろう。
突然、自分の心のキャパシティを越えた『好き』って気持ちが全身を支配してしまった時、私はどうしていたっけ?
いざ問いかけられてしまうと、明確な答えが出てこない。
むしろ、ひとりだと答えが出ない気がするんだけど。

うん、そうよ。
この答えは、ひとりでは出せないわ。
すぐ駆け寄ると、黙って見上げてきた彼の横のメモ帳に、私が導きだした回答を記した。

「多分、これが一番最善のような気がするんだけど…」
「でもこれだと、相手が嫌がらないか?」
「そんなことないよ。だって、相手は恋人だし好き同志なんでしょ?少なくとも、私は嫌じゃないわ。私が嫌じゃなければ問題ないよね?」
「それはもちろん」
「なら、早くお仕事終わらせてね」
「20分で終わらせる。それから10分以内にそれ以外のことを終わらせる」
「もしかして、かなり重症?」
「誰のせいだと…」
「それに関しては、スコールは被害者であり加害者よ」

きっかり30分後、今度は私が好きを持て余すんだろうな——いつもよりも赤くなっている彼の耳のふちを見つめながら、クリアな確信を持ってデスクから離れた。
けれど彼は、10分もしないうちに腕の檻で私を監禁した。

実際のライオンを見たことはないけれど、きっと、獲物に飛びかかる時はこんな風なのかしら?
だって、必要最低限の露出で彼は私と繋がろうとしている。
果物を剥くよりも簡単に奪われたショーツや、頭よりも高く上げられた爪先を他人事のように感じながらも、彼の衝動を受け止められるわたしが愛おしい。

「そんなに、だったの?」
「ああ」
「辛かった?」
「途中から…リノアもこういう気持ちなのかなと思ってた」
「わたし?」
「俺がいない時、こんなふうになる?」
「………もっと、重症だよ」
彼の中にどのくらいの感情が渦巻いているのかは、想像するしか無いけれど、きっと、私の方がぐちゃぐちゃだし切ない気持ちでいると思うわ。
だって、彼がそばにいても離れていても、毎日あなたのことを考えてキュウキュウしているもの。

「こんなに自分がコントロール出来ないなんて、初めてだ」
自嘲気味に自身の下を見ていたスコールは、情けないと思っているのか、心底困った顔をした。
「悪いことじゃないよ……ううん、とっても素敵な事だと思うな」
理性で抑えきれないから恋なんでしょう?私とだから、こうしたいんでしょう?
それに、どちらに関してもふたりとも覚えたてだもの。まだまだビギナーよ。
衝動を抑えるなんて、ナンセンスじゃない?

「すまない、普段の手順を踏む余裕が無い」
「私なら、紳士じゃないスコールも大好きになれる自信があるわ」
「そんな事言うの、リノアだけだ」
「私以外に言う人がいたら、大問題でしょ?」
「確かに」
一瞬だけ、小さく喉を鳴らして笑ったスコールは、切なげに眉を寄せた。
普段は無欲な彼の、欲望を垣間見る瞬間…私のなかのわたしが歓喜する。

「したい」
「うん。わたしも、したい」



私が提出した『これ』が正解なのか、ちゃんと答え合わせしなきゃ。