3・『ヨーク全集2』天使の郵便
《天使には色々なお役目があるのを知っていますか?天使は、魂を天へ運んだり神様のお世話も勿論ですが、彼らは生きているすべての生き物に郵便を送っているのです。
命とは、とても尊いものです。その命をどうしたら輝かせる事が出来るのか。
天使は、生きて行く事へのアドバイスを毎日送っているのです。
あなた、肩に郵便が届いてますよ。どんな郵便を受け取りましたか?
…見えませんか?そうか、あなたには見えないのか。
いや、失敬。では、私が代わりに読みましょう。
なになに、『愛する人を守る為にどうすれば良いのか。一度、考えて』だそうです。
あなたはどうしたらいいと思いますか?……うん、とてもいいと思いますよ。
え?答えですか?それは言えません。
本当はね、答えなんて無いんだと思いますよ。
ひたむきに、嘘をつかず、いつでも真剣に愛する人を想う事が、守る事に繋がるんだと思うんです。でも、これが一番難しいんですよ。何故だか分かりますか?
分かっているなら、さあ、大切な人に愛を伝える事から始めましょうか。時間は待ってくれませんよ》
 
 
 
 
「先生の見解はどうなんですか?」
「そうだねぇ…。体温は極度に低いが、心拍に異常なし。まるで冬眠みたいだね。いろんな刺激を与えると目を覚ます事もあるかも知れないね。非科学的だけど、なにかのきっかけで目覚める事はあるんだよ。意識不明の病人に話かけたり、手を握ったり、本を読んだり、花の香りを嗅がせたり…そういうので目を覚ます時がある。この子のケースじゃ分からないけれど、やってみて損はないと思うけどね」
「そうですか…」
「医者だから、楽観視することは出来ないけど…私は、リノアが目覚めると信じてるよ。あんたもそうだろ」
「…はい」
「とにかく、手立てが無いこの状況じゃ、様子を見るしか無い。おまけにガルバディアの子だから、今は親元にも返せない。この子の事が心配だろうけど、何もしなくても時間は過ぎていくんだ。あんたは、今、出来る事からやんなさい。あと、ちゃんと食べて眠りなさい。ここのトップがそんなんじゃ、先が思いやられるよ」
スコールは、カドワキ医師が去った後、軋む体を椅子に座らせた。
鉛を飲み込んだように全身が重く鈍い。
 
『魔女』との戦闘の後、そのまま昏睡状態へ陥っているリノアをここに連れてきてからの事は、まるで悪い夢のようにスコールを夢とも現実ともつかない世界へ引き込んで蝕んだ。
保健室のベッドで眠るリノアをじっと見つめても、世界が灰色になったように視界が歪んで目眩がする。景色も人の言葉も何もかもが、全く心に届いてこない。
そんなスコールを慰めるように、風が彼の髪をフワリと撫でていった。
 
 
「リノア」
声をかけて、手を握ってもただ静かに、身じろぎすらせず眠る彼女。柔らかそうな頬をつねれば、起きてくれるのだろうか。
 
「あんた、嘘つきだ。話が聞きたいって…言ったじゃないか」
恨み言にも聞こえるそれを彼女にぶつけても、聞こえるのは、カーテンを揺らす風の音だけだ。
 
「…リノアが読んでた本、後で持ってくるな。読んでやるから…起きてくれよ」
 
 
出来ることをやりなさい——カドワキの言葉はその通りだ。その通り過ぎて吐き気すらする。
確かに今までの自分なら、SeeDのスコールなら、これからの事を先の先まで考えていた。
これで全てが終わったなんて当然、思っちゃいない。
 
(だけど、今の俺に出来ることなんてもう、何も無い)
眠りに落ちる事さえ許せない自分の体を無理矢理立たせて、スコールは保健室を後にした。
 
 
 
静かな図書室に居たのは、いつも三つ編みにしている例の図書委員だけだった。ゼルから名前を聞いた気もするが、寝不足のせいか、思い出せない。
彼女はスコールに気付くと、すぐに側へ駆け寄ってきた。
ゼルに聞いたのか、事情を知っているような顔をしている。
 
「あのっ…リノアさんは…?!」
「………まだだ…」
「そうですか…こちらにはどうして?」
「いや、ちょっと聞きたい事があるんだが。今、大丈夫か?」
「は、はい。何でしょう?」
「リノアが閲覧していた本の履歴を知りたいんだ。ガーデン生以外はIDで管理出来ないから、記録簿に必ずつけておくんだったよな」
「そうです。リノアさんは私たちが居なくても、ちゃんと申告してくれてましたから全部あるはずです。ちょっと待ってて下さい」
カウンターから台帳を引っ張りだして眺めていた彼女が突然、えっ、と声を上げた。
 
「スコールさん。リノアさんて、ガーデン関係者なんですか?」
「違うが…どうした?」
「気付いたんですけど…リノアさんの借りていた本が、年少組の指定図書だったり、候補生の教養課程の課題の一部だったり…そんな本ばかりで」
「そうなのか?」
台帳を受け取ってリノアの名前がある箇所を指でなぞると、確かにどこかで見覚えのあるタイトルがいくつも目に飛び込んできた。
 
(『ガラスの森』と『うそつきうさぎ』は年少の時に読んだ。『ヨーク全集』…確かに見覚えがある。この本は…。ああ、これもだ…覚えてる。…まさか)
最後まで彼女の字を追えなかった。もう、たまらなかった。
 
スコールは、台帳を押し付けるように彼女に渡すと、急いで本棚へ向かった。
F.H.に停泊していた時、図書室でリノアと会った時に読んでいた児童書を見つけると、裏表紙を開いた。
そこには、黄ばんで劣化した貸し出しカードが一枚、紙製のポケットに入っていた。
カードを取り出すと、いくつもの名前の中に見知った名前が、幼い字だけれど馴染みのある筆跡で書かれていた。
 
リノアが読んでいた本は古いものばかりで、きっと後ろには同じような貸し出し用のカードが入っているのだろう。
そこには、同じ名前が書き込まれているはずだ。いや、書いた本人が言うのだから間違いない。
 
(そういえば、ガーデン設立当初はまだ、ID管理じゃなくて貸し出しカードだった。よく残ってたな)
リノアが『これ』を見つけたのは、きっと偶然だったに違いない。
けれど、手に取って読んだ理由が、今はっきりと分かった。
なぜ、彼女があんなにも図書室に籠っていたのかも。
キスティスが探し物をしているように見えたのかも。
 
(廊下で彼女が『追いかけてる』と言っていたのは)
「俺の事だったんだな…」
そんな、いじらしい事をしているとは思わなかった。
スコールは思わず天を仰いだ。吐き出した息が震えている。
リノアが本の後ろを開いてカードを確認する姿が浮かんで、ギュッと目を閉じた。
 
 
「こんなの…ずるいじゃないか」
 
人の心にすっかり住みついて、当たり前のように側にいたくせに。
あんたがくれた笑顔で、俺の中の何かをそっくり変えてしまったくせに。
俺が踏み込むな、って態度で表しても、疑いも恐れもないまっすぐな目で見つめてきたくせに。
花のような淡く輝く好意を、いつも横顔に浮かべていたくせに。
 
いつしか俺の名前を、大切なものを扱うような声で呼んでくれていたくせに。
 
「目が覚めないなんて、ずるいじゃないか。あんたの声が、聞きたくなったじゃないか…」
 
 
透明な液体が一つ——古ぼけたカードに落ちて、一番下に真新しいインクで小さく書き込まれたRinoa Heartillyの文字をゆっくりと滲ませていった。