2・うそつきうさぎ
《きらきらの谷に住むうさぎのエムは、みんなをいつも嘘で困らせていました。ある時は時間を訪ねた野ネズミの親子に間違った時間を教え、ある時はカエルのジョン爺さんに池が日照りしたと慌てさせ、またある時はオオカミのニーナに鉄砲撃ちがやってきたと脅かしていました。だから、エムは周りから嫌われてしまっていました。
ある日、エムの事が気になった黒ぶちうさぎのジョーイは、エムにたずねました。
どうして嘘ばかりつくんだ?と。
エムは笑って後ろ足で耳を掻きながら答えました。
「ぼくは、嫌われたいんだ。みんなの事が好きだから。だって、好きな人がいなくなると悲しいだろ?」
それを聞いたジョーイは呆れ声で答えました。
「おいおい、たとえ嫌われ者でも、誰かがいなくなるのは悲しいものだよ。それに、僕は君が好きだ。そんなことを考える君が」》
7時から開いている食堂に来ていた人は、ポツポツと数えられる程度の閑散としたものだった。任務も勉強も中断されている現状は危機的ではあるが、ガーデン始まって以来の緩やかな時間が流れているようだった。
それにしてもいつもより人が少ないように感じる。
昨日のコンサートを見に来た生徒は、勢いで夜更かしをしてまだ起きられないのだろうか。
セルフィやキスティスも普段ならいる時間なのに、ゆっくりと見渡しても見つけられなかった。
朝はビュッフェスタイルになる食堂は、リノアがガーデンに来た時とさほど変わらないメニューの多さに見えた。
「ガーデンが動いて今日で10日だね。食べ物…じゃなくって、物資は大丈夫なの?」
「ああ、今のところは。非常時の蓄えもあるし、今はF.H.である程度揃えられるしな。これからどうするかは、おいおい決まると思う」
「そっか。でも、もうすぐ直るんだもんね、良かったね」
地図を置きたかったらしいスコールは、小さなテーブルを繋げた4人掛けになっている席を見つけてバサリとそれを置いた。
リノアはその席から、候補生の女の子3人がチラチラとスコールに目配せしながらヒソヒソ声で話しているのが見えた。
(やっぱり、人気あるんだなぁ…)
スコールは全く意に介していないようだったが、ガーデンに来てから知ったのはスコールの人気ぶりだった。それも男女問わず、だ。
(共通して、なに考えているか分からないとは言っていたけど)
ガーデンに来てから、リノアの知らないスコールの生活ぶりが少しずつ分かってくると、新鮮な驚きを毎日と言って良いほど目にしていた。
同級生と挨拶する姿は気さくとはほど遠かったけれど、長く共に生活してきた馴染みが垣間見えたし、一部の教官に可愛がって貰えてただろう言動も耳にした。
一番下の学年に至っては、ヒーロー扱いしている男の子までいて、まとわりつくその子に渋い顔をして鬱陶しそうに扱うけれど、ひどく優しげに見えたのが忘れられない。
やっぱりここは彼の『帰るべき家』なのだ。
つい、じっと見過ぎていたのか、スコールが訝しげに眉間の皺を寄せた。
「何?」
「ごめん、ぼーっとしてただけ」
「そうか」
そう言うと、リノアに視線を合わせる事も無く、スコールはさっさと席から離れて食事を取りに行ってしまった。
「あ…」
呼び止める間も無かった。リノアは少しだけ不満そうな顔をしたが、すぐに気を取り直して彼の後をとぼとぼと追った。
(きっとアーヴァインなら「僕が取ってきてあげるよ〜」なんて言うんだろうな)
そんな事を期待していたわけでは無いけれど、やっぱり声くらいはかけて欲しかった——と、思ったリノアの心の声が届いたのか、急にスコールが彼女に振り返って戻ってきた。
リノアをじっと見た彼の顔が、ほんのり赤く見えるのは気のせいだろうか。
近くにあったトレイを取ろうとしていたリノアは、それに気付いてすこしその場から離れて壁際に寄った。ここで話しては邪魔になると思ったからだ。
「…悪い」
「え?いきなりどうしたの?」
案の定、スコールは彼女に話しかけてきて謝罪の言葉を口にした。謝罪の理由はさっき黙って離れた件だろうか?
「いたたまれなかった」
続けてスコールがこぼした言葉にリノアは戸惑った。しかもわざと意味不明な言い方をしているようにも思える。
リノアの顔にその疑問がそのまま出ていたらしい。それを見て観念したかのように溜息を吐き出したスコールが、いつもより歯切れの悪い小さな声でボソボソと喋りだした。
「噂が想像以上に広がってるみたいだ」
「噂?」
一体なんの噂だろう?
心当たりが無いリノアが疑問を深めてスコールのように眉を寄せた。その表情を見たスコールが、深褐色の前髪の奥から意外そうに目を見開いた。
「あんた、知らないのか?」
「噂のこと?知らないよ」
「参ったな…」
余計な事言うんじゃなかった、と呟いて腕組みしながら下を向いたスコールが、新たな溜息を吐いた。その様子でリノアはピンと来た。
きっと噂は自分の事に関するもので、あまりいい噂じゃないんだろう。
彼に迷惑をかけていたのに、なに舞い上がっていたんだろう——リノアはここにさっきまでの弾むような気持ちが一気にしぼむのを感じた。
「ごめんね。私のせいでスコールが嫌な思いしてたんだね。…迷惑なら、もう私に話しかけなくていいから」
鼻の奥がツンとするのを必死に我慢しながら、普段通りの声で話せたと思う。リノアは、それだけは自分を褒めたくなった。
「おい、なんて顔してるんだよ…それにあんた、勘違いしてるぞ」
「勘違い?」
「迷惑なんて思ってない。きっと、リノアの方が迷惑だと思うはずだ。噂って言うのは…みんなが、俺の彼女を…あんただって言ってる」
「え………あ、……え?」
(彼女って…そのまんまの意味で、彼女だよね……ええっ!?)
そんな噂だったなんて!——リノアの頬が、誰が見ても分かる位に、みるみる紅潮していった。
突然、周りの音が全く耳に入ってこなくなった。視界がくらくらする。
そして、端から見ればこの位置での会話もとんでもなく誤解を生む状況なのではないのだろうか。そう思うだけで、頭から湯気でも出てるんじゃないかと思う程、恥ずかしさで血液が上へ、上へと、のぼっていく。
自分のつま先を見つめて、下を向いたまま声すら出せないリノアの頭の中に、かろうじてスコールの声が聞こえてきた。
「さっき、リノアの前にいた女子3人組も言ってたが、聞こえなかったんだな。俺はてっきり、聞こえてたからあんな顔してるのかと思った」
「……うん。スコールの事を話してると思った」
「最初に会ってからずっと思っていたが、もう少し周りを見た方がいいぞ。ガーデンじゃ…特に、野郎はあんたの話で持ち切りだ」
「えっ?そうなんだ」
スコールは3回目になる溜息を盛大に吐き出して肩を落とした。無自覚振りに呆れたのだろう、リノアはそう判断した。
スコールの溜息の真意には気づかずに。
「どっちにしても、スコールに迷惑かけてるんだよね…」
「だから、俺は迷惑だなんて思ってない。気にするな」
「うん、分かった」
(…ん?ちょっと待って。迷惑だと思ってないって…どういう事?)
普通なら、彼女じゃない女の子と誤解されたら嫌がるんじゃないんだろうか。
弾かれたように上を向いたリノアの瞳には、もうスコールが列に戻る背中しか見えなかったが…彼の耳が赤くなってた事と今の台詞を丹念に辿って、ある仮説が浮かんだ。
けれどそれは、なんとも都合が良過るもので、リノアの心は必死にかき消そうとするけれど、消えない炎のように何度も何度も浮かんでくる。
(迷惑に思わないって、所詮噂だから?気にするに値しない事だから?それとも…。ねぇ、スコール。もしかして、もしかして、少しでも私の事…気になってくれてるの?ほんのちょっとだけでも、好きになってくれてるの?勘違いなんかじゃないよね?自惚れでもないよね?違うなら、今すぐ教えて。お願い)
次第に早くなっていく鼓動のせいで、さっきまでの鬱々とした気分が嘘のように消えて、リノアの胸をきゅうっと締め付けた。