1・ガラスの森

 

《むかしむかし、あるところに、美しい娘が住んでいました。

彼女はとても優しく、歌が上手で、人々や動物たちからも愛され、幸せに暮らしていました。

ところがある日、彼女を好きになった悪い魔法使いが、彼女をつかまえてガラスの森へ閉じ込めてしまいました。

 

ガラスの森は魔法でできた森でした。木々が全てガラスなのです。そして、木々に意思がありました。

とても美しい場所でしたが、気に入らない侵入者には襲いかかり、葉が割れて、ナイフのように落ちてくるのです。

娘を助けたくても、人々は森を恐れて近づこうとはしませんでした。

 

彼女は悲しみに暮れて、自分の心を慰めるために歌を歌い続けました。

魔法使いはそれを見て満足しました。

彼女を鳥かごに入れた気分になったのです。

 

ある日、美しい歌を歌う『森の妖精』の噂を聞きつけた隣国の王は、国で一番強い騎士にガラスの森を調べることを命じました。

騎士は森へ向かい、入り口を探しましたが、なかなか見つかりません。

それもそのはず、入り口は魔法使いが上手に隠してしまったのです。

 

 

その時、森の中から歌が聞こえてきたのです。その歌はとてもきれいな声で思わず聴き入ってしまいました。

そして、ようやく見つけたのです。木に腰掛け歌う美しい娘を。

騎士は命令を忘れてしまうほどの衝撃を受けました。

彼女も彼の存在に気づき、とても素敵な騎士に心奪われてしまいました。

二人はガラスを隔てて、一目で恋に落ちたのです》

 

 

 

 

「何読んでるんだ?」

上から小さく降ってきた聞き慣れた声にリノアはドキリとした。いきなり声を掛けられたせいで肩がぴくんと縦に揺れた。

本に夢中になってて人の気配に気が付かなかった。いや、彼はプロの傭兵だから気配を消すのがうまいのかも知れなかった。

 

リノアがデスクからゆっくり顔を上げれば、予想通りの人物が彼女をじっと見下ろしていた。

いつも通りの少し首をかしげた無表情な顔だ。けれど、いつもよりリラックスした印象(と言っても目元が少し穏やかなだけだ)なのは朝だからだろうか。

 

 

「あ、スコール。おハロー」

「ああ」

まだそれを流行らそうとしているのか?と、いう辟易顔に変わったスコールの無愛想な返しに、リノアは内心苦笑した。

元々この言葉を流行らせるつもりは全く無いのだけれど、いつしかスコールとの挨拶には定番になってしまった。

冗談や照れ隠しから始まった挨拶。

スコールに少しはその気持ちが伝わっているのだろうか——リノアは一瞬疑問に思ったが、すぐ考えるのを止めた。

 

原書だが「童話を読んでました」とはスコールには言いにくくて、素早く紐の栞を挟んでパタリと閉じてスコールの質問には答えないことにした。

 

「スコールこそ、どうしたの?何か探しもの?」

「地図を取りに来た。ニーダが言うには、ガーデンの修理がもうそろそろ終わるらしい。学園長室のは大まかなやつだから…置いておこうと思ってな。あんたこそ、こんな朝早くから読書なんて変わってるな」

 

ガーデンの図書室は、任務の調査資料閲覧など情報分野も担っている為、24時間使用可能だ。(但し書籍の貸し出しは委員が来る14時から18時までと決まっている)

だが、いつでも閲覧可能とはいえ、朝からわざわざ本を読みに来る生徒は居ない。

デスクに備え付けてある時計の時間は、7時。この時間、普段なら職員が時々新聞を読みに来る位なものである。おまけに今は、F.H.に接触はしているものの孤島のような状態だ。余計人の往来は少なかった。

実際、しんと静まり返った図書室にいるのは二人——リノアとスコールだけだ。

 

普段、リノアもこの時間は仮として充てがわれた部屋で休んでいるのだが、いつもより早く目が覚めてしまった。

ブラインドを下げずに寝てしまい、日の光が部屋を照らしたからかも知れないし、昨日のセルフィ達のコンサートで頭が興奮してしまっていたからかも知れない。

夏に入ったせいか日の出が早い。南東のここの明かり取りの窓にも既にたっぷりと日が入っている。窓から差し込む新鮮な光の帯の中に、埃の粒がいくつも浮かんでは沈んでいく。リノアにはそれが特別な美しいもののように見えた。

 

(恋人同士ならこんな時、キスでもするのかなぁ…って、やだ私ったら)

恋物語を読んでいたせいか、おかしなことを考えたリノアは髪を耳に掛ける仕草で変な事を考えた自分を誤魔化した。

 

「私、ガーデン生じゃないから借りるのは何と無く気が引けちゃって。朝早くなら他の人もそんなに居ないし…」

「そんなこと気にするやつは、いないと思うがな」

リノアが座っていたデスクの近くで、地図の入ったキャビネットを漁りながらのスコールの言葉は——案の定、視線を寄越すとも無くぶっきらぼうな答え方だったが、リノアは不快では無かった。

むしろ、遠慮している自分に対して遠回しな気遣いを感じ、胸の奥が朝日と同じように輝いて暖かくなった。

リノアは閉じた本の古びた革表紙の角を指で何度もなぞり、ぼんやりと昨日の事を思い出した。

 

前々からSeeDは器用だと思っていたけど、特筆すべきはあの集中力なのだろう。

短時間で楽器をそつ無く演奏出来るなんて…リノアは昨日のコンサートで内心舌を巻いた。才能があるというのは、ああいう人達のことを言うのだろうと思ったし、みんながもし別の道を歩んでいても、それなりに有名になっていたのではないかと思う。

比較する事自体間違いだとは思うけれど、自分のような凡人とは根本的に違うんだろうなと思うと、少しだけ遠い存在に感じた。

ただ、『森のフクロウ』の仲間達から離れて流れで同行することになった自分を、仲間だと思ってくれているのも感じていた。だから昨日、私にスコールの事を頼んでくれたのだ。本当は最近まで心細かったのだけれど、みんなの気持ちがとても嬉しくて有り難かった。

 

(スコールは…私のこと、どう思ってるんだろう。まだ、『お客さん(クライアント)』なのかな…)

いや、もうそんな素振りは彼には見えなかった。SeeD同士の阿吽の呼吸とまではいかないが、考えている事は分かるようになってきたし、自分に対する遠慮も良い意味で無くなったような気がする。昨日の事でそれは確信になった。

それが個人的な感情から出たものであるかは…まだ未知数だけれども。

 

件の彼は、殺気には敏感に反応するのに、秋波とも取れる目線を送っても、こちらに全く気付こうとしない。

少しは近づけたと思ったのに、な。

そんな独り言もスコールには全く聞こえた様子は無かった。

ただ、最近の彼は、ほんの少しだけど優しくなったと思う。喋り方や態度は殆ど変わらないけれど、ごく僅かに目が穏やかになる。

さっきの声を掛けてくれた時の顔みたいに。昨日のコンサートでのやり取りもそう。それがリノアにはたまらなく嬉しかった。

僅かな変化でさえ、気になる人の事を敏感に感じ取れるのは、恋する乙女の特権だ。

 

「そういえば、スコールご飯食べた?」

焦ってはいけないと思いつつも、やっぱり少しでも彼の事を知りたい——リノアは我慢出来ずに声をかけた。自分の声がいつもより上ずっているのも気付かずに。

些か面食らったようにリノアに向き直ったスコールは、何か逡巡しているような顔をしてから、髪をかき上げ小さく咳払いをしてから口を開いた。

リノアには、彼のその表情が少し怒っているように見えた。

 

「いや、まだ」

「じゃあ、一緒に行かない?お腹すいてきちゃった!」

「………」

「あ…いや?」

空振りだったかも知れない。こんなことで落ち込む必要なんてないのに、静かな空間に放った声が思ったよりも落ち込んだトーンを含んでいた。それに一番驚いたのはリノア自身だった。

なんだか恥ずかしい。そんな自分をかき消すように、慌てて立ち上がって笑顔を作った。

 

「そういえば、シド学園長の部屋に行くんだっけ。ごめんね」

「いや…」

「じゃあ、またね」

「…リノア」

読んでいた本を返そうと出口に向かったところを呼び止められた。

まさか声を掛けられるとは思わずに、振り向いたときに翻った自分の髪がまた伸びたな——そんなどうでもいいことがリノアの頭に浮かんで消えた。そして息を飲んだ。

さっきまで怒っているように見えたはずのスコールの表情は一転、笑っていた。厳密に言えば、笑いたくないのに声を出して笑ってしまいそうな困った顔をしていて——瞬く間にリノアはときめきの波に攫われた。

反則という言葉が、やけにくっきりと心に湧き上がった。

 

「飯、行こう」

「平気なの?」

「別に食べた後でも問題ない」

「じゃあ、最初からOKしてよ〜」

友達のように、冗談混じりに抗議してみても、足捌きがつま先立ちになるのを止められない。

多分、彼にも気付かれているはずだ。目が一瞬だけ細められたから。

 

これじゃあ、好意を見透かされてあしらわれているようだ——ああ、実際そうなのかもしれない。

スコールの一挙一動で、リノアの中で咲いた想いの花は、不安と自信に何度も煽られて無理矢理本を捲る音のように心をかき立てた。

 

これ以上踏み込んじゃいけないのだ、という警告はとうの昔に超えてしまった。そもそも警告なんて発する間も無かった。

彼を好きになった瞬間はあまりに突然過ぎて、リノア自身も戸惑った程だ。

サイファーが気になっていたころとは明らかに違う、もっと深くて、怖くて、甘い感情。

 

(恋、しちゃった…んだよね、わたし)

掴んでいた本を持つ手の平が、外の日差しを受けてもいないのに熱く、汗をかき始めていた。

 

 

「確か…鳥になるんだったよな」

考え事をしていたリノアの頭の上から、独り言のようにスコールの声が聞こえたかと思ったら、彼女の本をそっと取り上げ、パラパラと開いて小さな風を起こした。風はそのままリノアの前髪をほんの少しだけ揺らした後、ただの空気となって消えていった。

 

「覚えてるの?」

ついまじまじと見つめてしまう程、意外だった。それにしても、本を眺めているスコールが様になりすぎていて、理不尽なのは承知で無性に腹が立った。それに、最初に話しかけてきた時、何の本かを知っていてああいう聞き方をしたなら…すこし意地悪だ。

「年少の頃、読んだ気がする。殆ど記憶にないが鳥になるのだけは覚えている」

「子供用に編集されたものは、悪い魔法使いを倒してハッピーエンドなんだけどね」

原書の『ガラスの森』は、魔法使いが死に際にかける呪いによって娘も騎士も鳥にされてしまうのだ。鳴く事のことのない鳥に。

「鳴かない鳥、か…」

「うん。でもね、森が二人を憐れんで魔法をかけるの。愛する相手を見つけた時だけ奇麗な声で鳴くように。結ばれた時だけ、お互いの声が聞けるの」

この作者はどんな思いでこの本を書いたのだろう。読む度に、切ない気持ちがこみ上げる。

 

「借りなくていいのか?図書委員に後で言えば大丈夫だが」と、リノアはスコールに聞かれたが、首を横に振るとそのまま彼は静かに本棚にそれを収めた。二人はそのまま図書室を後にした。

途中、思い出したかのようにスコールが口を開いた。

 

「さっきの話『キリノオオルリ』みたいだな」

「キリノオオルリ?」

「ああ、雪山にいる鳥だ。つがいの相手以外には殆ど声を出さない鳥なんだ。ただ、地面に巣穴があるせいか雪崩の前兆の時は一斉に鳴くから役に立つ」

「スコールってホントに博識だね」

リノアは純粋に褒めたつもりだったのに、スコールはなぜか彼女からそっと目を逸らして悪くもないのに「…悪かったな」と呟いた。唇が微妙に尖って見える。

もしかして、照れているのかも知れない。

 

(誤解されやすいよね、スコールって)

他のひとなら不快になるかもしれないスコールの反応が、リノアは可愛らしいものを見ている気になって、得意げに気持ちが高揚した。欠点に見えるそれでも、一つ知る度に想い人に近づけている気になる。

 

「キスティスがあんたの事を、図書室に入り浸って本の虫になってるって言ってたぞ。何かを探しているようにも見えたとも言ってた。何をそんなに読んでるんだ?」

「内緒。追いかけてるだけだよ」

「?」

リノアの謎めいた答えに、スコールは眉間に皺を寄せた。それを見たリノアは可笑しそうにクスクスと笑って、心の中でチロリと舌を出した。

 

(ごめんね、スコール。まだ秘密なの。あ〜!廊下が倍の長さになりますように!)

これからの事を思うと、そんな悠長な事を言ってはいけないのは知ってる。

けれど、今だけ。静かな廊下を彼と歩いていたくて。

リノアは、見た事の無い神様に心で小さくそっと祈った。

 

 

 

 

 NEXT