「じゃあ、約束ね!」

明日のランチを一緒にする  そんな些細な約束でも、彼女は一つのイベントにしてしまう。
ベッドに腰掛け、片方の眉を器用に引き上げて小首を傾げながら差し出した小指を振って催促してくる姿は、とても人が恐れる力を持っているようには見えない。
事実、リノアは年少クラスの人気者で、彼女を囲んだ授業の時は両隣のポジション争いが勃発するくらいだった。
もちろん子供だけではない。スコールは自分の居ぬ間に彼女の隣を狙っている奴がいるのも知っている。
無邪気なくせに匂い立つような色気がある厄介な恋人は、彼の小指を確保をするまで視線の檻から解放する気はないらしかった。

(仕方ないな…)

デスクワークを終えたスコールは隣に座り、苦笑しながら白魚のような指とは真逆の、自身が無骨と思っている指を絡めた。
その時だった。

「!……お前…」
「えっ?」

つい乱暴な呼び方をしてしまうくらいスコールは驚いて、結んだ指をじっと眺めた。急に彼が驚いたことに反応してリノアも焦りだす。

「な、なに?どうしたの?」
「あ、いや。なんでもない」
「なんでもないってこと、ないでしょ?」

意味深発言のように言われれば、確かに気になるだろう。リノアは口元を引き結んで、心配とも不満とも取れるような顔をしている。
スコールは一瞬だけ迷って、素直に告げることにした。実際大したことではない、そう判断したのだ。

「指、前より細くなったんじゃないか?」

彼は絡めた指を離して、親指と四本の指で挟むように彼女の手を握った。短剣の鞘を抜き取るように掌から指先へ移動しながら指の細さを確かめる。

初めて二人が握手したあの時は手袋越しだった。スコールにとってもあの時の記憶は鮮明だったが感覚は残念ながらそれとは程遠く、淡く薄れていた。

(けれど…もっとしっかりした感触だった気がする)

素手で手を握る関係になってからも、彼が持つその印象はあまり変わらなかった。
もっとも、ガーデン所属の女子に比べたら断然華奢ではあったが。
けれど、今しがた触れた指は、クリスタル細工のように繊細で優美で、指先はあの時よりずっと柔らかくなり女性らしさに溢れていた。
あれからこんなにも、嫋やかな手になったことにスコールはドキッとしたのだ。

「やっぱり細くなってる」
「そうかなぁ。私は変わらないと思うけど。あっ!」

パチンと手を叩いて何かを思いついたような顔をしたリノアは、手を後ろに回して、長い髪をふわりと右肩へ流した。
不器用な割にネックレスをあっという間に外してサイドテーブルの上に置くと、チェーンから慎重に指輪を外した。

「これ、お母さんの指輪なんだけど、私にはちょっとだけきつかったんだよね。今なら入るかなぁ」

当時の流行だったのだろう、心なしか太めのシンプルな結婚指輪を二本の指で摘んだまま、リノアは天井にそれを翳した。
白金は、蛍光灯の光を反射して満月のようにキラリと光り、見上げた二人の色彩を歪に映していた。

隣の顔を一瞬チラリと見て、はにかみながら自身の指に嵌めようとしたリノアの手を見て、スコールはギョッとして固まった。

(ダメだ!)

思わず叫んだ本能が行動を先に支配して、リノアの右手首をガシッと捕まえた。

「…っ!」
「あっ!」

いきなりスコールに手首を掴まれたリノアは、うっかり指輪を落としてしまった。
床のタイルにキンッ…と音を立てて転がり落ちたそれを、二人は慌てて手を伸ばして追う。
デスクの下に落ちる直前にスコールが先に拾い上げて、すぐさまリノアに渡そうと彼女の方を向いた時、彼はあんなことすべきでなかったと激しく後悔した。
リノアは青い顔をして、泣き出しそうだったのだ。
彼は手に握られた、軽いと思っていた指輪が急に重みを増したように感じた。

「………悪かった。大事なものなのに」
「うん。でも、手を離したのは私だし…」
「いや、俺が急に掴んだから。本当にすまなかった」

スコールはリノアの手を取って、申し訳なさそうにそっと指輪を渡すと、彼女は丹念にそれを見回してから眦を下げて、明らかにホッとした表情になった。

「歪みも傷もないし、内側の石も取れてない…大丈夫だよ」
「内側に石があるのか?」
「うん。お母さんの誕生石が埋まってるの。お父さんって案外、洒落たことするよね」

ほら、と言われてスコールは再びリノアの手からそれを受け取った。リングの内側を見ると、刻印の横にごく小さな紅い石が埋まっている。

「…ルビーか?」
「うん。お母さん、誕生石のルビーが大好きだったみたい。お母さんの宝石箱の中は殆どルビーだったんだよ。殆どって言ってもそんなには無いんだけど」

彼はまた持ち主に指輪を手渡した。受け取った彼女はもう指に嵌めようとはせず、細いチェーンにそれを通した。
母の形見とグリーヴァのリングが再び胸元を輝かせ、いつも通りの見慣れた光景が戻ってきた。

「しなくて良かったのか?」
「うん、また今度」

やっぱり落としてしまったことによって、彼女の高揚感を削いでしまったらしい。
スコールはいつもと変わらない笑顔を浮かべている頬に手を当ててじっと瞳を覗きんだ。

「ごめんな」
「そんなに気にしないで。指輪は無事だったし、近づけた時に思ったけど…やっぱり入らなそうだったから」

優しく微笑みながら相手を気遣うリノアに、スコールはなんだか切なくなって肩を抱き寄せた。
されるがままハグの体制になったリノアは、腰にゆっくりと腕を回してからスコールへ控えめに尋ねた。

「でも、さっきはどうして止めたの?」
(気になる、よな)

きっと、そんな事で?とリノアは呆れるだろう。もしかしたら、笑うかもしれない。
正直に言うのは気恥ずかしかったけれど、彼女をほんの少しでも傷つけてしまったのだから話すべきなんだろうな  そんなことを思いながら、彼は心を整えるための深呼吸をした。
スコールが彼女の左手へ、後ろポケットを探るように右手を重ねると、リノアは身じろぎして、彼女が大好きな顔を見上げた。

黒目がちの澄んだ瞳が、じっと答えを待っている。スコールはその眼差しだけで、自分はこんなにも彼女に夢中なのだと思い知った。
狭量な男の顔を見られてくない  スコールは隠れるように彼女のつむじに鼻先を埋めた。
その作戦は、確実に失敗だった。
リノアの髪からほんのりと甘く柔らかな香りがして、心が落ち着くどころか耳の奥の鼓動が聞こるくらい高鳴ってしまったのだ。
彼は上手い言葉を見つけられずにいたが、これ以上は自分の心臓が限界だと判断して、見切り発車のように早口で告げた。

「ただの、ワガママだ」
「ワガママ?どうしてワガママになるの?」
「そこまで聞くのか?」

彼はため息をついたが、察して欲しいとは言えずにいた。

(俺の勝手な意見だし、感情だからな)

けれどスコールは最後の期待を込めて重ねていた手に少し力をかけてみた。しかし特別リノアの反応は得られなくて、内心こっそり肩を落とした。
自分で蒔いた種だ。さっさと話せば楽になれるのに、告げられない。
こんな時、スコールは生来の、特にこういう時の口下手な性格を恨めしく思った。

「やっぱり言わなきゃダメだよな」
「だって、意味がよく分からなくて…」
「…分かった」

一呼吸置いて彼は目を伏せた。目の前は暗くて彼女の気配だけになったのに、緊張や照れからくる顔の熱さが、余計に押し寄せてくるようだった。
その熱を腹の底で押さえつけるようにして、ようやく静かに彼女へ告白した。

「左……だったから」
「左?」
「左に嵌めようとしていたから。そこは、開けておいて欲しかったんだ」

彼女が息を飲んだ気配がした。同時に、彼が握っていた指先がピクンと跳ねた。
そこから時間が止まってしまったかのように動かなくなってしまったリノアが気になって、スコールは細心の注意を払って顔を上げてから見下ろした。

「リ、………!」

どんな時も、何度呼んでも、彼の心に沁み渡るその三文字は、それを所有する彼女の唇で塞がれ、音として出てくることはなかった。
彼の唇へひたむきに押し付けてきた柔らかなそこから、控えめに舌が差し出される。
頬を真っ赤に染め、小さく震える睫毛を一瞬だけ薄目で確認したスコールは、目を閉じで感触に集中することにした。小さな唇を覆うように食んでから、どんなものよりもずっと甘い舌を吸い取った。
彼が項へ手を差し入れれば、それに呼応するかのように彼女の腕も肩から首へかかり、密着を深めていく。
二人は何度も唇を離しては触れ合わせ、小さく名前を呼び、目を閉じたまま微笑みあった。



長く深い口付けを交わした二人は、名残惜しげにゆっくりと顔を離した。
同時に零れた満足げな吐息は互いの頬よりも熱く、恥じらいよりも愛情の方が勝っていた。

「わたし、嬉しいよ。嬉しい」
「…そうか?」
「そうだよ。わたしが思うよりも大切にしてくれているんだもん。わたしの方こそ軽率だった…ごめんね」
「そんなことない。お母さんの大事なものなのに、くだらない嫉妬をして悪かった」

スコールがリノアの額に唇を押し当てて、梳くように髪を撫でると、リノアは彼の胸に頬を擦り付けた。
服の上からなのに、スコールは彼女の頬が触れた場所がじわりと熱を帯びるのを感じた。

(きっと心臓の真上だからだ)

スコールはそう思ったが、すぐにそれを訂正した。
それだけじゃない。いつもこうして心に寄り添ってくれているからだ。それに、リノアへの想いを伝えきれずに熱が内にこもってしまっているんだ  彼は急に泣きたくなるような感覚に身を震わせ、寄りかかるようにリノアを抱きしめ直した。

「ね、約束…して」
「何を?」

じんわりと目元を潤ませたリノアが、左手の小指をスコールの目線まで上げて囁いた。

「もし、もしいつか…私で構わないって、思ってくれたなら……」
「約束なんて必要ない」

え、と驚いたリノアの左手をスコールはそっと取ると、自分の頬に当てさせ、リノアの全身を優しく包むような笑顔を向けた。

「約束しなくても、世界がひっくり返っても、これだけは覆しようのない決定事項だ」

スコールは頬の手を再び取って、騎士らしく薬指に素早くキスを落とした。

「リノアを愛しているんだ…」




一粒だけ。
ほろっと流した恋人の涙は、どんな宝石よりも綺麗だ。
詩人や恋人たちが使い古した言い回しだったけれど、スコールも素直にそう思った。












※ジュリアさんのお誕生日が分からず勝手に誕生石をイメージで選ばせて頂きました。
もし公式等で出ているようでしたらご一報下さい。