土曜日の夕方は、豪雨から始まった。
急に積乱雲が不気味な様相で水平線から出現し、大粒の雨が真っ白な飛沫になるほど猛烈に降り注ぐ。灰色とノイジーな世界で、咲き綻んでいた桃色の百日紅の花が、ぼやける視界の中で物憂げに地面に落ち、流れていく。
雷を伴った雨は、バラムでは特段珍しいことではない。土地柄、気温は温暖でも天候は左右されやすい。
そんななか、生まれて初めてこの夕立を経験したリノアとアンジェロは、互いに身を寄せていた。
勇敢なアンジェロも雷は苦手のようで、抱きついている彼女の腕に顎を乗せて、ひたすらこの嵐が過ぎ去るのを待っている。リノアは地割れのような音にビクついては、今度こそ心臓が止まると何度も思った。
そこへ、約束の時間になっても一向にやって来ない恋人の様子が気になったスコールが、女子ふたり(厳密にいえば、一人と一匹)が部屋の隅で震えているのを発見すると、一目散に駆け寄った。

「おい、大丈夫か?」
「あ、あんまり……」

来てくれた。やっぱりスコールは来てくれた。
彼の気配に安堵して、ぎこちなく微笑もうとしたが、恐怖で歯の根が合わず、奥歯がカチリと鳴った。普段の強がりは見せられないようだ。
リノアは暗がりでもわかるほど青ざめ、過ごしやすい室内の気温に反して冷や汗をかいていた。その汗が更なる悪寒を呼ぶ。彼女はアンジェロごとスコールに縋りついた。
スコールは黙って、震える彼女たちの肩と毛並みをそれぞれ撫でさする。
瞬間、光と轟音が空気を割いた。キャッ!というリノアの短い悲鳴を追うかのように、点いていた蛍光灯がバツンと消えた。
運悪く、雷がガーデンに落ちてしまったらしい。
くぐもった声が、隣の部屋や廊下から聞こえてくる。リノアは突然の事態に泣きそうになった。

「ス、スコール……」
「じきに復旧する。心配するな」

彼女の不安を和らげるように、いつもより静かな声がリノアの頭に降ってきた。彼の手は変わらず、リノアの腕を撫でている。
ブラインドを下ろした部屋の中は、黒と呼べるチャコールグレーに姿を変えて、部屋を照らすのは、時々起きる閃光だけ。
姿勢が辛くなったのか、アンジェロがスルリと彼女の腕をすり抜けて足元に蹲った。
片側の支えを失ったリノアは、辛うじて輪郭を捉えられるスコールに、無言で両腕を差し出した。
掬うように彼女を抱き寄せたスコールは、目尻と頬へ、触れるか触れないかの口づけを与えて、自分の胸元へきゅっと招いた。

「怖いか?」
「うん…でも、さっきよりはこわくないよ」
「そうか」

スコールは短く返答しただけだったが、少しの笑いと慈愛を含んだ声が、一瞬でリノアの強張りを解いていった。
彼が来るまで、生きた心地もしなかった。やっぱりスコールは、わたしに安心をくれる人だなぁ。
彼の胸に片側の頬を押し当てて、心臓の音だけに集中する。彼はいつものジャケットを着ていなかった。リノアは二人の距離がより近く感じた。力強い鼓動が、低い周波数となって彼の胸板越しにリノアの鼓膜へ伝う。

ほら、彼に集中すれば、雷なんてこわくない。
リノアは自分なりの『雷対策』を発見した。得意げになって、彼に一層ぴったりとくっつくと、凪いだバラムの海のように規則正しかったはずのリズムが少し乱れて、今はアンダンテからアレグロに変わっている。
それを聞いたリノアの鼓動も、不意にスピードを上げた。けれど、縮こまって感じていた不安定なものではなく、好きな歌を口ずさんで、誰もいない道を自転車で駆け抜けるような、もっともっとと……高揚したくなるような速さだ。
夜目のきかないリノアは、見えないはずのスコールを見上げた。ついさっきまで忌々しく思っていた光が、彼女へ視覚の手助けをしてくれた。

スコールはじっと、リノアを見つめていた。
リノアは、はっきりとわかった。
多分、わたしが抱きついてからずっと、こうして見つめてくれていた。
リノアだけだと訴える、リノアにだけ秘密を告白する、リノアの前だけで細める、柔らかで穏やかで、けれど情熱を孕んだ深甚な彼の瞳。
わたしに恋をしてくれている、彼のアッシュブルー。

ああ!わたし…!
天啓とも呼べる稲妻が、リノアに落ちた。
愛される喜びと、それを失う恐れに感化されて、溢れ、頬を濡らす。

「リノアの弱点、見つけた」

苦笑しながら、スコールは彼女の瞼に再び吸い付く。
その触れた唇が何よりも優しくて、リノアはまた、新たな潤いをスコールに授けた。

「違うよ。わたしの弱点は……」

わかってて聞くの?ひどいひと。
わたしの弱点は、あなただけだよ。