リノアの体のどこかに、アルティミシアの心の一部が残っているとしたら……そんなお話です。

これも捧げものですが、墓場行き。


Vals del mes



どこか深い森の中を彷徨い歩きながら、私は人探をしていた。
森の中はお祭り騒ぎ。いろいろな動物が飲めや騒げの大にぎわい。
それを羨ましくも横目で眺めながら、どんどん道を進む。
こんな場所、来たことがない。知らないはずなのに、私の身体が道を覚えている。
気づけば裸足は泥にまみれ、着ている白いワンピースの裾も、藪に引っ掛けたようにあちこち傷だらけだ。
こんなになるまで私は誰に会いたいのだろう、とても大切な人なのに思い出せない。
そう、この先には一面の花畑。
満月が浮かぶ今夜なら、暗くないから道に迷わず来てくれる。思い出せない誰かが、きっと。

本当に?
私は何度も同じ道を辿っている。何度も何度も。けれど、その人は来てくれない。
でも、今日は、今日こそは、きっと。
本当はもう、待つのも疲れてきちゃったよ。
早くしないと、忘れちゃうよ?
ううん、嘘よ。
ずっと待ってる。いつまでも待ってる。
だからお願い、早く来て。
私を、抱きしめて。





「……ノア、リノア!」

大きな声と強く揺さぶられて目覚めた時、わたしは心臓が凍りつき、深い絶望の淵に立たされたような気分だった。
暗がりの中、首だけ動かすと、間近でひどく心配そうにしている蒼い瞳とかち合った。
彼の背を照らす月が、煌々と部屋を照らしている。
月明かりはいつもなら静かに降り注ぐはずなのに、今日の満月はサーチライトのように目を眩ませた。

「ス、コール?」
「ああ……大丈夫か?ひどくうなされていた」

わたしを起こしたのが、スコールで本当に良かったとひどく安堵している自分がいた。
気遣う眼差しを網膜に焼き付けてから目を閉じて、深く深く、深呼吸をした。
乱れた鼓動が落ち着く頃、手のひらも背中もぐっしょりと濡れていることに気付いた。不快感に身を起こすと、彼がそっと背中を支えてくれた。
彼にも背中の冷たさが分かってしまったようで、着替えを持ってくる、そう言ってスコールはクローゼットへ向かった。
彼のベッドを汗で濡らしてしまった。立ち上がって、ベッド下の収納ケースから新しいシーツを取り出した。
手早くシーツを交換すると、服を持ってきてくれたスコールが替えたシーツを受け取ってくれた。着替えはここに泊まる時、時々借りるグレーのスウェットだ。

「ありがと。あ、シャツも?」
「替えの下着、無いだろ?中は俺のシャツを着ればいい」
「うん。ごめんね」

バスルームで手早く着替えを済ませると、彼は既にスペースを半分開けて横になっていた。
自分の場所へいそいそと戻り、まだよそよそしい冷たさを持ったシーツに体を滑らせると、スコールがくるりと体の向きを変えてわたしを胸に抱き込んだ。

「スコール?」
「少しは落ち着いたか?嫌な夢見たんだろ?」
「うん。嫌というよりも……悲しかった、かな?」

実のところ、この夢を見るのは初めてではない、と思う。
思うという表現に留まってしまうのは、目覚めた時にほとんど内容を忘れてしまっていたから。
でも、繰り返す焦燥感や会いたい人に会えない悲しみ、目覚めた時の喪失はいつも同じだった。
けれど、今日はあんなに鮮明に覚えていたから、目覚めた時、本当に夢か現かの判断ができなかった。

「ね、話してもいい?」

一番大好きな温もりを感じながらスコールに話しかけると、彼は黙って、抱きしめてくれている腕の力を強めた。

「誰かに会うためにずっと森の中を彷徨うの。わたしはその人をずっと探していて、相手も私と会う約束をしているはずなの。でも、ずっと待っていても会えなくて。淋しくて、悲しくて。でも会いたい気持ちはどんどん膨らんで……。これって、あの時、スコールに話した夢と似ているね」
「流れ星を見に行くっていう、あの?」
「うん。でも、もっとずっと強い想い。わたしよりもずっと長く待ち続けている。あれって……」

わたしはそこで言葉を切った。確証はなかったけれど、心の中はもう答えを導き出していた。
温かな胸から彼の顔を見上げると、スコールはなぜかひどく怯えているように、眉を寄せていた。マホガニーブラウンの髪が目元にかかって目を開けているのかはよく見えない。

「あれってきっと、誰かの記憶だと思う。魔女の……そんな気がする」

言い終える前に、スコールが縋るようにぎゅっとわたしを抱き込んだ。
彼の力強さに安心できているのに、心のどこかを掴まれている気がしてキュッと切なくなった。
息を詰めていたのか、つむじにかかる震えた吐息の熱さに、今度はこっちの息が詰まる。
震え、必死に堪え、湿ってしまうあの熱さは、わたしもよく知っているものだ。


彼はいま、息を殺して泣いている。



「ごめんな……」

脈略のない謝罪だった。
けれどそれは、土に水が染み渡るようにわたしの体の隅々まで運ばれて、潤し、溢れ、目元から流れて消えた。

「……スコールがどうして謝るの?」
「なんとなく、そうしないといけない気がした」
「そっか……」

不思議な感覚だった。
頭の中ではスコールがなぜ謝ったのか、自分が涙したのか全く分からない。
でも、これで良いのだという気持ちもあって、何かが溶けてどこがが満ちた。

わたしは微笑んで、彼を強く抱きしめた。もう泣かなくていいよ、そう伝えたかった。
今この場で必要なのは、言葉ではなく、限りなく優しい時間。
気持ちが伝わったのか、彼も小さく笑って、わたしの髪に顔を埋めた。





この日を境に、わたしはあの夢を見ていない。